東京科学大学 理工学系漕艇部員日記

東京科学大学理工学系漕艇部の漕手、コックス、マネージャー、トレーナー達による日常紹介

東京科学大学理工学系漕艇部での日々を皆様にお届けします

カテゴリ:2022年度入部者 > 安間

 お久しぶりです。東京科学大学理工学系漕艇部OBの安間光一です。僕の最後のレースから2ヶ月が経ちました。引退ブログを頼まれていたのですが、書いている途中に引退してからのことを書きすぎてしまったため別の記事にしました。ですので、漕手・安間光一の引退ブログとは別物になります。ご了承ください。

 

 

 

 僕は引退してからというもの、新人戦の対校フォアのコーチ業とマネージャーがいない時のマネージャー業をしていました。結局あれだけの言葉を並べて名残惜しんでいた艇庫生活は、僕のもとから離れては行きませんでした。練習は無くなり、僕に課せられた勝利という義務も、みんなからの期待も背負う必要がなくなりました。同期のみんなも、対校対抗フォアに乗っていた小岩以外はたまにしか会えなくなってしまいました。

 それでも、忙しない日々の中で、その思いは少しずつ薄れていきました。後輩たちの勝利という目標を見つけられたから、寂しさを忘れることができたのでしょう。

 

 

 OBとして艇庫で過ごした日々は新鮮なものでした。一番大きな変化は、自分の犠牲を厭わなくなったことでしょうか。現役の不利益と自分の不利益なら、自分の不利益の方が小さいと感じます。自分が現役だった頃は、自分も強くなる義務があったため、他人のために全力を注ぐことはできていませんでした。睡眠を削って働けば人の為になると分かっていても、自分の身を案じて寝なければならなかったし、ストレッチも食事もちゃんとしていなければならなかったからです。ですが今は、体が満足に動くレベルでなくてもいいのです。考慮することが減り、現役のサポートに全力を注ぐことができるようになりました。

 

 

 マネージャー業をかじって初めて分かったことですが、飯炊きもビデオも地味なのに、大変なものですね。ビデオは他の艇の観察をしたりできたので、コーチ業もやっている人間からすれば面白いものではありましたが、いつもビデオを撮ってくれるマネージャー達にとっては苦行でしょう。飯炊きも、授業が始まって以降は必ず1限の人たちが食べられるように作らなければいけないので、朝早く起きなければなりません。朝早く起きて、単調な飯炊きというのは面倒な業務です。

 

 マネージャー達は決してこんな不満を漕手に垂れることはありませんが、それ故に漕手しかやってこなかった僕はその大変さを知りませんでした。いや、知っていたつもりでしたが、この身で学ぶことでようやく理解できたのだと思います。現役の時、これを知っていれば、彼らにもっと心からの感謝を持ち、もっと優しくなれただろうと後悔しています。

 また、10月は4年生の仕事をシフト制にして僕がシフトを組んでみたのですが、まあ上手くいかないし面倒くさいことこの上なかったです。ミスも多かったし。人手不足やミスをカバーし続けてくれたあいりには深く感謝しています。

 

 

 コーチについては、とても楽しいものでした。Albusのクルーは、水越と塩尻が僕と共に半年間ずっとエイトに乗ってきていて、雲田はAlbusにずっと乗ってきていました。だから、組む時にはあまり心配していませんでした。しかし、蓋を開けてみれば、インカレエイトとフォアでの考え方が違った影響や、黒木とかとみずが乗艇に慣れていなかった影響で思ったよりガタガタでした。どう直そうかと非常に頭を悩ませたものです。しかし、初めからクルー全員が強くなることに大きな意欲を持っていたため、上達が非常に早かったです。特に黒木やかとみずには難しい要求を多くしてしまったけれど、必ずそれらに応えてくれました。

 傲慢な言い方ですが、僕の発言1つでクルーが変わるのが手に取るようにわかりました。だからこそ、僕は絶対に適当なことは言えないという責任を感じ、最善の手を常に考え続けていました。そのプロセスが楽しくて仕方なかったです。

 大会の頃には、クルーを組んで2ヶ月も経っていないのに、みんな別物になっていました。初めから見えていた癖や改善点は見事に無くなりました。大量の改善点からどれを言うか悩んでいたのに、気づけば改善点が見つからずに悩んでいました。

 

 全日新のレースは本当に素晴らしいものでした。僕にとっては雲の上だった日大に、絶対に勝つという心構えに、まず心を打たれました。準決勝前日に1時間近いミーティングをして、無茶とも言えるレースプランを組んでいたとき、ここまで強くなったのかと感動していました。レース本番では、序盤から果敢に攻め続け、日大相手にリードを取り続けていました。序盤から攻めるレースプランなんて、背水の陣なら誰でも取る手であり、僕も何度も経験があります。しかし、実際にリードをとれたことなんてありません。伴チャができなくて中継を見ていましたが、あの胸の高鳴りは感じたことがないくらいでした。彼らの努力の賜物ですね。阪大にも途中でリードを許しましたが、練習していた残り100mのMAXが刺さり、とんでもない伸びを見せて差し返していたのには驚きました。

 

 準決勝から帰ってきた時、涙を流す塩尻を見て、僕も思わず泣いてしまいました。人前で泣くのは嫌いなので、感情に流されないようかける言葉を準備しながら岸に戻ったのに、何も言えなくなってしまいました。それだけ強い思いが、彼らに、そして僕にもあったのでしょう。

 

 B決勝で悔し涙を流せる彼らなら、僕たちより確実に強くなってくれると確信しました。僕たちの掲げたA決勝の夢は、彼らに託すとしましょう。彼らにしか託せないからではなく、彼らならできるという確信を持って。

 

 

 

 

 

追記 小岩へ

 

 この2ヶ月間、本当にお疲れ様。対校対抗フォアのバウとして、何のため漕ぐのか見失いそうになりながらも全力で漕ぎ続けた小岩を、僕は尊敬しています。最後の2000TTは、その背中にこれまでの歩みが見えたような気がして、応援していて涙が出てきました。

 今は研究室が忙しくなって、今後についてずっと悩んでいることかと思います。漕手として復帰するか、コーチとなるか、あるいは別の選択肢もあるかも知れません。ただ、漕ぐにしろ、そうでないにしろ、その選択はどうか自分の意思で行ってください。周囲のために自分の選択を曲げないでください。今まで主将として、自分の意思を捻じ曲げて僕たちのために行動し続けてくれたのだから、主将の重荷が降りた今くらい、自分を大切にしてください。どんな道を選ぼうとも、僕はその選択を支持し、応援します。

 ———最終日に漕ぎたかった。みんなの期待に応えたかった。勝って仲間と泣きながら抱擁を交わしたかった。

 

 どうやったら強くなれるか、怪我や病気を防げるか、いっぱい寝られるか。こんなことを常に考えながら、仲間と共に忙しない日々を過ごす。辛いけど、楽しくて、愛おしいこの日々が、終わってしまった。先輩、後輩、そして同期の仲間たちとみんなで艇庫に住むという当たり前は、もうありません。

 

 ずっと前から、この日に引退するとわかってはいました。引退したらどう思うんだろう、と何度も想像していました。それなのに、まだ自分が現役でなくなったとは思えません。もう練習しなくて良いはずなのに、練習をしていない自分に罪悪感を覚えるし、疲労も溜まらないのに湯船に浸かってストレッチをするし、そこまでお腹が空いていないのに同じ米の量をわざわざ測って食べようとするのです。これを書いている今日は、最後のレースからもう4日が経っています。なのに、あんなに毎日やっていたスマホゲームすらやる気になれません。無気力、というわけではありませんが、今までのことがたくさん想起されて、ずっとしんみりしてしまうのです。ゲームを開いても、記憶を忘れないようにしているのか他のことに意識を向けられず、集中できません。現役の時は引退後にやりたいことがあれだけたくさんあったのに。

 引退式で送り出して貰ったとき、ようやく自分が引退するんだという実感が湧いたと思ったのに、まだ理解できていません。

 

 昔から、僕は「終わり」を極端に嫌がる人間でした。何事も、これが最後と言われると悲しくなる。新しい生活の始まりだなんてとても思えない。生活の全てが終わった今、頭が理解することを拒んでいるのかもしれません。

 

 でも、いつか終わりは訪れるものです。仮にM1, M2まで続けたところで、いつか引退するという未来は変わりません。いつこの終わりの気持ちを味わうかでしか無いのです。———

 

 

 

 ここまでが、僕が9月11日までに残していた言葉です。

 

 これを書いている今は11月5日(提出は12月8日。ごめんな田村)。後輩たちの新人戦が終わり、ボート部に、また長い冬が訪れようとしています。引退してからの生活については、別のブログ「あれから」をご覧ください。ここでは、漕手を引退したことについて綴らせていただきます。

 

 

 

 

 

 雰囲気に一目惚れしてこの部活に入って以来、新人として僕は順調な滑り出しをしていました。500mで吐きそうになっていたランニングもだんだんと出来るようになり、筋肉もついて(脂肪もついたけど)エルゴも着々と伸びていました。1年生の11月に6:56を記録し、このまま6:50くらいは切れると思っていました。新人期間は、きつかったけれど本当に楽しい期間でした。

 

 

 ところが、新人戦が終わってから、僕は停滞しました。新人コーチという厳しくしてくれる存在がいなくなって、甘えが出ていたのだと思います。当時はそこまでボートのことを好きでもなかったし、別になりたいものもない。ただ艇庫でみんなと暮らせればそれでよくて、モーションは当たり前にやってきて当たり前にこなすもので。その程度の意識でした。それでもいつか強くなれるだろうと思って、漫然と生きていました。

 

 

 結局、次にベストが出たのは3年の11月でした。この間の2年間、僕は怪我と病気を繰り返し、それらを減らすための努力のみをしていました。勝つための努力をしていませんでした。楽しい思い出は数多くあれど、あの期間は僕の中で大きな後悔です。

 この期間について綴ってみましたが、起伏の無い暗い文章の羅列になってしまったため補足資料に載せておきます。ただし、上記の理由で読むのはオススメしません。

 

 

 

 3年のインカレを終えて、僕たちが最高学年になって迎えた冬練は、僕はとにかく強くなりたいという一心でした。シングルやペアに乗るようになり、毎モーション何をすべきか考え、恐れずに全力で練習する。そんな当たり前が、ようやくできるようになりました。その結果、2年間止まっていたエルゴも再び伸び出し、エルゴが楽しくなりました。

 

 僕はコンディション係に就任し、自分の2年間の経験を生かして漕手全員の怪我を無くし、病気の蔓延を防ぐことを目標に活動しました。ただ、具体的に何をしたかと言われると、風呂を沸かしたり、少し痛みが出た際の判断をしたりとか、その程度でした。モーションの変更や病気の対応は独断ではなく、メニューを組んでくれていた小岩と、モーションの結果を管理してくれていた川島と3人で相談し、結論は小岩に出してもらっていました。

 

 結果として、3年の冬練は今までに類を見ない成功を果たしたと思います。怪我に怯えて全体の練習量を減らしすぎてしまったと反省していますが、あの判断に後悔はありません。体力的に2年間を棒に振っていた僕にとっては、あれが持続可能な最大ラインだったと思っていますから。

 

 

 後輩たちがこれからもっと良い冬練を作り上げるには、個人個人の現状と向き合い、練習を変えるといった努力が必要だと思います。例えば、僕はLSDが刺さりましたが小岩にはあまり刺さらず、逆に小岩に刺さった全力UTは僕には刺さりませんでした。この手法は一歩間違えれば楽な方に、自分のやりたい方に逃れるだけになってしまうと思います。ですが、本気で強くなりたいと思っている人間なら、やりたくないメニューでも自分が伸びるためにできるはずです。練習が終わった時の感情とかではなく、長いスパンでの成長や疲労の残り方から総合的に判断できたら理想です。

 

 

 

 冬練が開け、初めてエイトを組んだ時の感動は忘れられません。お花見で東大と競ることが出来たのも、全日本で4艇並んでの激闘が出来たのも、どれも今まででは考えられないものです。全日本は今でも考えただけで震えます。最後のシーズンは全てが違いました。

 一番違ったのは、誰もが本気で勝てると思っていたことだと思います。言葉には出さずともみんな薄々持っていた諦めの感情が、全く無かったのです。OBさんたちの期待もひしひしと感じました。3年の夏まで応えられないとわかっている応援が何より辛かったけれど、この時は応援が力になりました。このおかげで練習の質も部の雰囲気も、全てが良かったと思います。タイムも全日本までは順調に伸び続けていました。

 

 

 ターニングポイントは双青戦の後に起きたパンデミックだったと思います。ここまで何とか防ぎ続けてきたパンデミックが、遂に起きてしまったのです。これが、最終シーズンにおける僕の最大にして唯一の後悔です。コンディション係として、もっと慎重な対応ができていれば防げたかもしれないのに。そう思うと、やるせない気持ちが押し寄せてきます。

 

 それから、僕たちは伸び悩みました。伸び悩んだとは言っても伸びてはいたんですけど、伸びが緩やかになってしまいました。それでも、インカレまで諦めずに心の底から最終日を望んで戦いました。

 

 

 

 最後のインカレは、全てを賭けて戦いました。でも、届きませんでした。

 僕たちの新人コーチが最後のレースを終えた時に「もう漕がなくていいんだ」と思った、ということを聞き、僕もそう思うのかなと思っていました。でも、レースを終えたばかりの僕に、その達成感じみた感情はありませんでした。届かなかった無力感だけが僕の心を支配しました。涙を流すこともなく、ただ茫然と空を見上げました。

 

 

 

 ここまでが、僕の3年半の振り返りです。あの日々を忘れたくなくて、ついたくさん書いてしまいました。ふと思い出すのは楽しい思い出ばかりですが、辛いことが多いような書き方になってしまいましたね。

 

 

 

 振り返れば、僕には浜田みたいなエルゴも、石羽みたいな技術も、大石みたいな体格も、西みたいなポジティブさも、小岩みたいな心の強さも、何もありませんでした。だからこそ、自分に何ができるかを考え、部のために努力していました。自分が強くなれなくたって構わないから、全員で強くなって、エイトを少しでも進めてやろうとしていました。

 この考えを持ち始めたのは2年生の頃でしょうか。自分の能力に限界を感じ、こんな発想で動いていました。全員で強くなろうという考えは正しかったと今でも思います。結局、クルーボートで戦うのですから。

 

 しかし、自分の能力に見切りをつけたことは正しくありませんでした。楽な道に逃れ、強くなるための努力を怠っていました。自分があと少し強ければ刺せていたレースもきっとあったはずです。これを読んでくれている後輩たちも、才能の差みたいなものを感じる日が1日くらいは来ると思います。でも、強くなりたいと思い続け、動き続ければ、限界はそんなに近くないことに気づくはずです。これまでの人生でずっと才能を言い訳にしていたことを、僕はようやく知覚できました。

 

 

 上記の他にも、ボート部で本当に様々なことを学びました。楽しい日々と、かけがえのない仲間も得られました。今の僕を形成するものは、ボート部で得たものがほとんどだと思うくらいです。心から、この部に入って良かったです。共に歩んでくれた方々、支えてくれた方々、本当にありがとうございました。

 

 

 

 

最後に、ありきたりですが最後の言葉みたいなやつを綴ろうと思います。

 

 

 

 

 

 

僕という一漕手を応援してくれていた人へ

 

 こんな僕に期待して、応援してくれて、本当にありがとうございました。本当に力になりました。最後まで応援に応えることができなくてごめんなさい。

 漕手・安間光一の物語はここで終わりです。ですが、ボート部の物語はまだまだ続きます。これからは、僕と一緒に読者として、僕の愛したこの部活を応援してください。

 

 

 

マネージャーへ

 

 僕たちの日々を支えてくれたこと、何度感謝してもしきれません。僕たちが弱くて、僕たちの勝利を信じられなくなった日々も多かったと思います。そんな状況下でも、支えてくれてありがとう。これからはもうそんな日々は訪れないから、どうか選手たちをこれからも支え続けてください。頼みます。

 

 

 

高橋先輩、吉野先輩、廣瀬先輩へ

 

 ずっと僕たちに期待し続け、教え続けてくれてありがとうございました。最高学年を経験した今、あなた方がしてくれていたことの意味と価値がはっきりとわかる気がします。

 自分たちの引退試合の大部分が僕たちに左右されるという状況で、僕が努力を怠ることへの憤りは、今は想像に容易いです。僕たちの引退試合では後輩たちが全力で勝ちに来てくれたからこそ、そうできなかったことが本当に申し訳なくて、悔しいです。

 そんな状況下で、めげずに必死に僕たちを強くしてくれたことに、言葉を絶するほどの恩義を感じています。だからせめて、最後に結果で恩返しをしたかった。貴方たちの努力に身を結ばせたかったです。

 勝てなかったけれど、最後のシーズンで希望を持って戦えたのは貴方たちのおかげでした。本当にありがとうございました。

 

 

 

一年漕手、COXへ

 

 オッ盾、新人戦を終えて、なんだかボート部らしくなりましたね。君たちの雰囲気は、どこか僕たちに似ているところがある気がして、親近感を感じます。互いを貶し合って、悪口ばっかりなところとか特に。でも、君たちは僕たちよりもミーティングが長くて(別に良いことではないけど)ボートに真剣に向き合っていて、上達が早そうだと思います。そのやる気から過度に練習して怪我や病気を引き起こしちゃうのはいただけないけれど、どうかその気持ちは忘れないでください。辛い時、その心を忘れれば、僕と同じ末路を辿ります。どうか、折れぬ心で僕たちよりも強くなってください。

 

 

 

石橋、遊佐、雲田、矢口へ

 

 フォアに乗っていた2,3年生たちは、怪我や病気で辛い時期が多かったと思うけれど、よく辞めずに漕ぎ切ってくれました。君たちの状況は、昨年の僕と似ていたと思います。辛く、苦しい期間を経験した分、次のシーズンでは絶対に楽しんで欲しいです。その経験は糧になる。頑張って。

 

 

 

洋輔、塩尻、水越へ

 

 一緒にエイトに乗ってくれたのが君たちで良かったです。まだ来年以降もあるのに、今年の大会に全力を出してくれて、本当にありがとう。上手くなったね。僕が出来なかったことだから、より君たちの凄さを感じます。これからもこの部活を引っ張って行ってね。

 

 

 

最後に、同期のみんなへ

 

 3年半、ありがとう。これだけ一緒にいれば、僕が思っていることくらい大体わかると思うので、敢えて言うこともありません。ただ、同期が君たちで良かったです。楽しかったね。これからも定期的に会おうね。まずは引退旅行、絶対行くぞ。

 

 2509070263

 IMG_4C4288247800-1

 IMG_5122

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Appendix: 暗闇の2年間

 

 当時の記憶といえば、年末チャレンジを思い出します。その年までは恒例行事だったらしく、1年生は2重跳びを50回連続で跳べるまで家に帰れない、というものでした。僕は小学生の時、1回に全てをかける跳び方をしてようやく1回跳べるかどうかだったので、かなり絶望的に思えました。それでも練習を続け、最後の挑戦日に4時間ほど縄跳びを跳び続けた結果、見事に50回連続を達成し、家に帰る権利を得ました。

 しかし、その翌日から2日間革靴で歩き回るバイトをした結果、足首を壊しました。そして、当時はまだ新型コロナウイルスが猛威を振るっていた時期だったため、頻繁に艇庫が閉鎖されました。自分自身のやる気の無さとこれらが重なって、結局この冬練で僕のエルゴタイムは全く上がりませんでした。エイト「燕」を階段から落として壊してしまったのもこの頃でした。この年の新歓で思うように部員を獲得できなかったのも、もしかしたらこのマイナスな雰囲気を隠しきれていなかったからかも知れませんね。

 

 それでも、冬練が明け、2年生になって、初めて漕手として迎えた五大学レガッタはとても楽しかったです。五大学レガッタには毎年エイトで出るのが伝統であり、僕たちは4年生1人、3年生2人、2年生5人に3年生のCOXというかなり漕歴の浅いクルーでした。当時エイトで戦った筑波大学も東京海洋大学も漕歴で僕たちをかなり上回っており、全大学が、自分たちが勝てると本気で信じて戦いました。僕たちも、こんなメンツであんな漕ぎだったというのに自信を持って臨みました。

 レースでは廣瀬さんのコマンドがぶっ刺さり、彼のプラン通りに勝利を納めました。あの勝利の瞬間は忘れられません。

 

 その後はインカレまで何があったかあまり覚えていません。全日本は出漕せず、理工系は特に競ることもなかったはずです。病気も怪我もしていたのでしょう。僕が技術以外で成長することはありませんでした。それでも、インカレでは6:32を出し、惨敗ながらエルゴの割に良く進んだな、と記憶しています。

 

 

 

 高橋先輩たちが引退してから、新人戦が始まりました。2年生の全日本新人はとても楽しみにしていた大会でした。この大会では小岩がシングルを希望したため80kgメンバーで再びフォアを組んで出ることにしました。

 全日本新人の1ヶ月前にあった東日本新人では1年生と共にエイトで出漕しました。大石の病気により既に漕手を引退していた遊佐が代わりに乗って3:09というタイムでした。一橋に完膚なきまでにやられましたが、タイム的には悪くないと思っていました。

 

 しかし迎えた全日本新人、僕たちは例によってAlbusではなく借艇をして出たのですが、結局運で準決勝に進んだのちに惨敗しました。帰り道に、歩きながら自分の無力さを嘆いて涙したことを覚えています。自分がもっと強ければ。体重がどうとか艇がどうとか言って諦めていなければ。そんなことを思いながら。

 

 

 

 全日本新人を終え、燃える想いを胸に2年生の冬練を迎えました。ところが、その心の炎はすぐに消えてしまいました。毎週のエルゴ30分×2がトラウマになったからでしょうか。乗艇が上手くいかなかったからでしょうか。モチベーション低下と共に怪我も病気も増え、同期も失い、全てが上手くいきませんでした。年末オフにはインフルエンザが大流行し、体力がガタ落ち、更に後輩も1人失いました。

 

 冬練明けのお花見レガッタでは東日本新人とほとんど変わらないタイムしか出ませんでした。五大学レガッタではなんとか勝利しますが、全日本選手権は艇運びが地獄だった上に全クルーで最下位、唯一の敗復落ちクルーでした。その後僕は手首の怪我が長引き、エルゴもろくに引けず、乗艇もあまりできずに体力が全く伸びませんでした。インカレでは6:54というエイトとは思えないタイムで圧倒的最下位になりました。

 この時ばかりは普段口を出さないOBさんたちも怒っていました。「強くならないのは強くなりたいと思っていないからだ」といったことを言われたのをよく覚えています。当時は内心苛立ちましたが、今となってはその通りだと感じます。当時の僕は怪我を恐れ、ストレッチなどマイナスを減らす努力しかしておらず、プラスを産んで勝ちに行こうとしていなかったのですから。

 4年漕手の安間光一です。最後のインカレまであと僅かとなりましたので、本大会への意気込みを綴らせていただきます。

 

 

 今大会の目標は最終日にレースをすることです。本当はもっと上を目指したかったけれど、これが今の僕たちが掲げられる目標の限界です。しかし、今の僕たちなら、必ず成し遂げられる目標だと思います。

 

 

 エイトのクルーはお花見レガッタに向けて組んで以来シートすら変わっていません。約半年間、ずっと。

 

 

 思い返すと、様々な記憶が甦ってきます。

 

 昨年、インカレにエイトで出漕し、無惨な結果に終わってから、今年の五大学レガッタまでに6:25を切れなければ僕たちはインカレに出ません、とOBさんに伝えたこと。

 このクルーを組んだ時、組んで間もないのに昨年のインカレクルーと遜色がなかった時の驚き。

 お花見レガッタでは、練習していたスタートを決め、今までと比べ物にならないレート、タイムがでた時の高揚感。

 五大学レガッタに向けた練習の時期、2000TTで6:23を出した時、自然に出たハイタッチ。小岩が喜びから水面を叩きまくり、塩尻にかけた大量の水。

 五大学レガッタ当日、その塩尻と小岩が体調不良、さらに僕たちが苦手とするラフコンの逆風という最悪のコンディションで望み、なんとか勝てた時の安心感。

 お花見レガッタでうまく行ったことで出場を決めた全日本選手権で、これまで全く歯が立たなかった大学と競ることができた喜びと、差し切れなかった悔しさ。

 

 

 これまでインカレで悔しさなど全く感じられなかった僕の心が、こんなにも動いたのです。これまでの経験が、練習が、今の自信をつくってくれている気がします。

 昨年、一昨年は、怪我、病気への恐怖と、それらによって練習を止めてしまうことへの罪悪感のみに心を支配され、勝ちたいなんて言える状況ではありませんでした。感動も、悔しさも、何も残りませんでした。

 しかし今年は、勝利への意志と自信を抱いてレースに臨めます。これまでは裏切ってしまうと分かって見て見ぬふりをするしかなかったOBさんたちからの期待も、今は僕を奮い立たせてくれます。

 

 

 

 支援してくれる人達の為に、この部活の為に、これまでの自分の為に、必ず最終日に行きます。どうか応援をよろしくお願いいたします。

 4年漕手の安間光一です。3個下の学年がたくさん艇庫に来て、自分が4年であるという自覚がようやく芽生えてきました。最後のお花見レガッタが終わり、最後の五大学レガッタが終わり、次に迎えるは最後の全日本選手権です。というわけで、全日本ローイング選手権の出漕クルーを紹介していきます。

 

 

男子エイト 燕II

 

整調 浜田脩平

 

 整調に乗るのは我が部のエース、浜田くんです。整調はバテないことが一番大切なので、彼が適任です。あと、整調なら毒ガスの影響がコックス以外に及ばないので被害を最小限に抑えられるのも嬉しいポイント。川島はよく悶絶していますが、犠牲が1人で済んでいるだけありがたいです。
IMG_0476
 

 

7番 石羽立汰

 

 7番に乗るのは我が部で一番腕が長い石羽くんです。7番はバウサイにとっての整調みたいなものです。7番のリズムが狂えば船が崩壊します。個人的に一番技術が要るポジションだと思っています。よって、一番無駄のない漕ぎができる彼が選ばれました。余談ですが、たまに彼も悶絶している時があります。ドンマイ
IMG_0002 

 

6番 水越友喜

 

 6番に乗るのは次期エース、水越くんです。6番はとにかくパワーが必要なので、彼が選ばれています。この冬練くらいからどんなメニューでもエルゴで彼に勝つことは能わぬようになりましたね。最近先輩に対してタメ口が増えてきた彼はレスト中によく船の上で寝転がっているので、今度一発かましてみようと思います。
IMG_8469
 

 

5番 安間光一

 

 5番に乗るのは僕です。5番は責任感をダイレクトに感じるシートですね。バウだった時よりも自分がバテた時の船の変わり方が顕著で、絶対に死んではならないと感じています。エルゴの時でも自覚を忘れずに漕げるようになりました。(別に昔も手を抜いていたつもりはありませんでした。本当だからな)また、みんなの声が聞こえるし、漕ぎやすくて精神的にも技術的にもすごく漕ぎやすく感じます。 
IMG_7925
 

 

4番 奥田洋輔

 

 4番に乗るのは次期主将と噂される奥田くんです。彼は昨年エイトを組んだ時からほとんどずっと4番に乗っており、彼自身も4番というシートが好きなんだそうです。五大学レガッタの時には写真写りを気にして脇を綺麗にしていた奥田くん。今回の試合でも両手を挙げてのガッツポーズを頼みます。
IMG_8784 

 

3番 西拓斗

 

 3番に乗るのは現役で一番年長者の西くんです。正直僕は3番に乗ったことがないのでなんとも言えませんが、3番は漕ぎにくい5番みたいなものだと勝手にイメージしています。整調が遠くなって、リズムが分かりにくく、ピッチングを感じやすくて漕ぎにくい。そんな中で、エンジンとしての役割を期待される、そんなシートな気がします。そんなエンジンを務める西くんですが、試合への興奮が高まりすぎてオーバーヒートを起こしてしまいました。僕たちの全日本の命運は今、彼に握られています。早く放熱して元通りの出力を出せるようになってね。
IMG_8646 

 

2番 塩尻直生

 

 2番に乗るのは我が部で一番要領がいい塩尻くんです。2番で大切なのはバウとの仲の良さだと思っています。2番とバウで話さなければバウは孤独死してしまいます。その純粋さから意図せず小岩の秘密をバラしたり悪口を言ってしまう塩尻くんですが、持ち前の素直さと誰からも好かれる人格で小岩と仲良くやれていそうです。テクニックが必要とされる2番ですが、毎乗艇で着実に上手くなっている彼を心配する必要はなさそうですね。ちなみに、彼が2番であるおかげで小岩が遠慮して、ガス放出を抑えている節がある気がします。ありがとう
IMG_9811 

 

バウ 小岩泰治

 

 バウに乗るのは我らが主将、小岩くんです。昨年の全日本選手権までは僕がバウを務めていましたが、今年は小岩くんがやってくれます。

 バウは船のピッチングの影響を受けやすいから難しい、とよく言われています。しかし、バウの最も難しい点は技術ではなく、メンタルだと僕は思っています。僕が現在乗っている5番は、コックスだけでなく整調からバウまでの全員の声が聞こえます。対して、バウはコックス以外の声が聞こえてきません。それなのに、自分の声はみんなに届くから発言力が大きい。誰よりも心が折れやすいシートなのに、誰よりもクルーの雰囲気に寄与してしまうのです。だから、バウは心が強く、辛くても決して独りよがりにならない人が務めなければなりません。僕は心が弱いので大変厳しかったです。

 上記の点において、小岩くんは適任です。ストイックですからね。キツくなってもみんなを鼓舞できるあの精神力は素直に尊敬しています。
IMG_8546 

 

コックス 川島元希

 

 コックスに乗るのは元気が素晴らしい川島くんです。彼の特長はなんといってもその明るさ。上手くいったら素直に喜ぶ。上手くいかない時でも決してネガティブにならない。臭くても不機嫌にならない。彼は完璧な操舵技術は未だ持っていなくとも、コックスとして一番大切なものを持っていると思います。体重調整も上手くいっているみたいだし、あとはマルチタスクを習得するだけです。がんばれ
IMG_8757 

 

 

 

 以上の9人で頑張ります。昨年と同じメンバーも多いですが、今年の勢いは昨年のそれとは比較になりません。必ず最終日までレースをして、爪痕を残したいと思います。
IMG_8360
 

 

 3年漕手の安間です。大変今更ではありますが、2/22(土), 2/23(日)の2日間に渡って開催された五大学合同練習会の振り返りをしていきます。

 

 僕は今回の練習で、リラックスしたフォワード、キャッチとそれを実現するためのドリルと、上達することの楽しさを学びました。

 脱力については昔から僕たちの課題だったのですが、いまいち解決策がわかっていませんでした。というより、漕ぎを見てくださっているコーチの方針もあって、僕はあまり改善しようと努力すらしていませんでした。ですが今回、理想の漕ぎに近づくための、脱力という別のアプローチが見つかった気がしました。上手く表現できないけれど、何かコツを掴んだというか、上達するための何かが見つかったというか、そんな感じがしています。これを練習のエイムとしてくれた海洋のM坊には頭が上がりません。

 上達することの楽しさに関しては、冬練中の小艇では実感していました。しかし、大艇で、みんなで成長するあの感じは長らく忘れていたもののような気がします。初めは何も出来ていなかったのに、最後はちゃんと艇が進むようになって、素直に嬉しかったです。現在組んでいるエイトでも、常にこの楽しさを忘れることなく漕ぎ続けたいです。

LINE_ALBUM_2025五大学合同練習_250318_67

 また、今回の合同練習会では大越さんに講習会を開いていただきました。そこで、普段自分が漕ぎやすければいいやで済ませていたリギングの大切さを学びました。内容が具体的で分かりやすく、大越さんの凄さを感じました。漠然とリギングの大切さを説くのではなく、てこ比やオールの種類等の数字のテンプレや考え方を学び、直ぐに実践できました。
 

 数年前、リギングをとても大切にしていた先輩たちが強かったのは知っていましたが、僕はそれ以前にエルゴを伸ばさなければならない、などと言い訳をして逃げてきました。しかし今、エルゴのみを伸ばす時期は終わりました。これからは如何に効率よく艇を進めるかに全力を注ぐ時期です。技術、リギングの両方を常に考えながら、残り半年生活していこうと思いました。

LINE_ALBUM_2025五大学合同練習_250318_154

 今回の企画、運営をしてくれた各大学の主将、マネージャーさん達には頭が上がりません。ありがとうございました。この礼はいつか必ず。

五大学合宿振り返り①

 最後に、小岩への礼として、彼のマイケルジャクソン風イケメン写真を載せておきます。良い角度だ。 

↑このページのトップヘ