東京科学大学 理工学系漕艇部員日記

東京科学大学理工学系漕艇部の漕手、コックス、マネージャー、トレーナー達による日常紹介

東京科学大学理工学系漕艇部での日々を皆様にお届けします

カテゴリ:2022年度入部者 > 伊澤

みなさんこんにちは。
東京科学大学理工学系漕艇部 主務の伊澤です。

2024年10月1日、東京工業大学は東京医科歯科大学と合併し、東京科学大学となりました。
それに伴い、弊部の名称も変更となります。
旧称 東京工業大学端艇部から名前を変え、今後しばらくの間は東京科学大学理工学系漕艇部として活動していきます。
名称変更に伴い、弊部が運用している各種SNSの名称も順次更新されていきます。
なお、旧 東京医科歯科大学漕艇部は、東京科学大学医歯学系漕艇部へ名称変更となります。

今後とも、東京科学大学理工学系漕艇部への変わらぬご支援ならびにご協力のほど、よろしくお願いいたします。

※しばらくの間は、艇庫に下記の簡易表札を設置しています。
東京科学大学 理工学系戸田艇庫
 

3年副務の伊澤です。
久しぶりのブログ投稿になりました。みんなに「ブログ書いて〜」って言っている割に自分は全然ブログを書いていないということに気づき、ブログ担当としての威厳を高めるために急遽記事を作成しました。
東工大端艇部のみんな、これからもブログたくさん書いてね!(特にマネージャー陣)

ブログを書いていなかったこの直近2ヶ月間は、関東理工系レガッタや戸田橋花火大会などボート部の中でいろいろな出来事がありました。そちらの記事は他の部員が書いてくれた(くれる)と思うので、自分は違うテーマでブログを書きます。

小岩くんによると、22B(現3年生の代)の引退まで8月3日時点でちょうど400日らしいです。僕たちが端艇部に入部してからもう2/3が終わってしまったんですね。びっくり。
僕たちの代はボート部でこれまでどんなことをしてきたんでしょうか。ボート部なので当然みんなボートを漕いだりその支援をしたりしてきた訳ですが、それ以外での活動、つまり学年としてどのようなことをしてきたのでしょうか。
実は22Bは、いわゆる「同期会」をほとんどしたことがありません。これまたびっくり。
23Bはこれまでに数回同期会(同期での旅行やご飯会など)をしてきたようですが、 22Bがしてきた同期会と言ったら、世代交代に向けた次世代MTGのために開催したご飯会@

常来吃 

(サンレイチャ)くらいなもんで、同期写真もこの時初めて撮影しました。それほど22Bはゆるーく繋がった集合体なんですね。みんな仲はいいんだけれども。
10人近くも部員がいると全員が揃った同期会はなかなか難しいかもしれないですが、こういう会は現役のうちから大切にしていきたいですね。
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翻って伊澤個人がこれまでのボート部人生で成し遂げてきたものを振り返ってみると、これまた記憶を掘り返すのが難しい。
伊澤は入部当初からマネージャーとして活動をしてきた訳ですが、今思うと考えていたほど色彩に富んだ活動をしてきていないということに気づきます。
東工大端艇部の現マネージャー体制は常駐マネと通いマネに二分されており、さらにそれぞれのマネでいろいろな仕事を分担しています。伊澤は常駐マネ(艇庫に常駐しているマネージャー)にカテゴライズされますが、現在はこれが主務、副務、学連担当の3者を受け持っており、伊澤はそのうち副務を担当しています。伊澤が副務になる以前(~2年生の10月)は、当時の新人コーチの指導のもと主務・副務見習いのような活動もしていましたが、基本的には
見習いマネとして飯炊き・ビデオといった基本的な仕事をこなしていました。昨年6月には学内レガッタの統括担当として一から取り仕切りをしていましたが、特異な業務としてはこの程度で、あとは基本業務に専念するばかりでした。
副務になってからはこうした仕事に加えて、対外部(OB、大学、…)との折衝を行う機会なども増えてきましたが、やはり基本は変わりません。
伊澤は今、ボート部にいるからこそできる体験をしているのだろうか。こういう一種の不安のようなものに、ここ1ヶ月ほど苛まれています。インターン申込にあたって、これまで取り組んできた活動を考えるようになったことがこの悩みの直接的な原因だと思います。いざ考えてみると、ボート部員であることの自負や誇りのようなものがこれまでのボート部人生の中で十分培うことができたかと言われると、なかなか肯定し難いです。

そこで伊澤はふと思いました。
ボート部にいるのなら、せめて運動はせねば、と。

週末艇庫を訪れる川本監督は、
徐に艇庫のパワーラックへ手をかけたかと思うと、気づけば10回の懸垂を軽々とこなしてしまい、この様子を現役たちはいつも呆然と見ています。また、OBとの会合へ出席した際にたまにお見かけする若手OBの方をみると、組んだ腕が丸太のように太く伊澤は毎回驚かされています。実は普段の生活の中に運動をしたいと思わせる動機は散らばっていて、この度のインターン応募が心に火をつけました。

最近はよくウェイトトレーニングをしていますが、ここ1ヶ月の間にベンチプレスの重量がますます増えていっているのでとても嬉しいです。
ボート部として活動しているのだから、ゆくゆくは小艇にも乗ってみたい、と心の中で思っています。
運動をすることが果たして「ボート部員としての矜持」を醸成するに適しているのかは定かではありませんが、ボート部員だからこそできる活動をこれからたくさんしていきたい、と思っています。

マネージャーのみんな、一緒に運動しよう!!

今回は内容が謎なブログになりました。終わり。 

こんにちは。3年マネの伊澤です。
2ヶ月くらい記事を書いていないおかげで、ブログのネタが大量に湧いてきました。
今月はブログ強化月間ということで、最も記事投稿数の多かった1名に伊澤からささやかなプレゼントをあげる予定なのですが、余裕で一位取れそうです。対ありでした。

そんなこんなで、とりあえず今回は今年の新歓について振り返ろうと思います。
今年のボート部新歓では、主にパンフレット・ビラ作成や会計処理を伊澤が担当しました。
東工大端艇部は例年パンフレットを作成しているのですが、今年は伊澤が担当することになったので、盛り込むコンテンツやスタイルの変更など、自分のやりたいようにやってみました。コンテンツの方で大きく変えたのは、「東工大端艇部の歴史」ページを挿入したことですね。

ここで皆さんに問題です!! 
東京工業大学端艇部は、今年で創部何年を迎えるでしょうか?

答えは





↓ 






123年くらいです!!

おいおい、なんだよ”くらい”って

と思った方、僕も同感でした。

現在、東工大端艇部は1901年に創部された、ということになっています。
なぜかというと、実は創部された年がはっきりとしないようなんですね。
というのも、東京職工学校(東京工業大学の源流)時代から学内でボート大会のようなものが開かれていたようなのですが、これが学校(校友会)主催のものなのか、部が主催したものなのか、という明示的な記録が残っていないんです。
当時の資料によれば少なくとも1890年代後半にはかなりボート競技が学内で盛んになっていたようなのですが、 「部」という言葉が資料に記載され残っているのは1901年以降ということなのです。
そういう曖昧な創設経緯を辿って今の端艇部があるわけですが、「東京工業大学端艇部 百年史」を編纂するにあたり、どの年が創部百年かという定義が必要になった時、当時編纂にあたっていた方が「1901年を創部の年にしよう」と決めたことで、ひとまずの決着を得ました。

たかが100年、日本の歴史のタイムスケールと比較してしまえば大変短い時間規模に感じてしまいますが、されど100年。資料を後世に残していくことの大切さをみにしみて感じました。

ところで、今回パンフレットを作成するにあたって先に述べた 「東京工業大学端艇部 百年史」を通読したのですが、これなかなか面白いですね。
元々伊澤が歴史好きだということもありますが、現在自分の所属している組織がどのような過去を歩んできたのか、それを垣間見ている気がして、歴史のページを編集している間はすごくワクワクしながら作業していました。
結局この2ページを仕上げるのにおそらく15時間くらいかかってしまいましたが、自分としてはパンフレットの中で一番好きなページに仕上がっているので大満足です。
せっかくなので、パンフレットの歴史ページを載せますね。
この記事を読んでいる他大学ボート部の皆さん、それぞれのボート部がどのような歴史を辿ってきたのかぜひ伊澤に教えてください!!
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※本頁は2024年版新歓パンフレットを作成するにあたり伊澤が編集した資料です。
内容に一部誤りがある可能性がありますので、広く頒布するなどの行為はご遠慮ください。
また、内容に対するご意見などお持ちのOBの方がいらっしゃる場合は、ぜひコメントでご教示ください!


パンフレットの話が結構長くなってしまいましたね。

新歓始まる前の仕事はそれとして、新歓期間中は何してたんだよって話ですが、普通に試乗会に参加してました。頑張りました。たまに奢りました。

伊澤は自他ともに認める会話ヘタ人間なのですが、新歓の時期は結構新入生と会話できたと思います。
なぜなら、話すべきことが大枠定まっているから。
そういう意味では、人と話す機会をたくさん得られたので、自分の会話力成長にも役に立ったなと感じています。
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あとは、健康診断ビラくばりの時の練り歩き見回り隊とか、ビンゴ大会の操作卓やったり、アメフトビンゴの補助員の補助(謎)やったりと、色々とやりましたね。
健康診断ビラ配りをやり遂げた石羽くんには頭が上がりません。お疲れさまでした。

そういえばアメフトビンゴの時、構内数箇所に「令和6年度 東京工業大学 入学式」と書かれた立て看板がありました。安間と一緒に構内を歩いていたので、記念に二人して入学式の写真を撮り直してみました。
(安間の写真はここにあります:新歓にかまけて
ここで2年前の自分と今の自分を比較してみましょう!
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ほぼ変化なし。強いていうなら肌が黒ずんだくらい。



そんなこんなしているうちに、新入生たちが無事入部してくれました。漕手4名COX2名にマネ4名と、相変わらずマネージャーの多い代が続くことになりました(全然悪くないです)。

来週以降、新入生たちから自己紹介の記事が投稿されると思います。ぜひお楽しみに!
 
P.S.
最近、乗艇前のアップでラダーを使っているみたいなんですが、見るたびいつも西くんの腕の動きが変です。誰か下半身と動きの連動している上半身の使い方を西にレクチャーしてあげてください。
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 左が石羽で右が西
最新の研究に基づいたティラノサウルスの模型図みたいな手になってますよね 

お久しぶりですね。3年副務の伊澤です。

気がついたらボート部生活2年目を迎えていました。驚きだね。

ジャネーの法則的には、20代はまだまだ時間の流れを遅く感じる年頃みたいですが、僕はよっぽどお爺さんになったんですかね。最近やけに白髪が増えてきたので、それもあながち間違いではないのかもしれません。
 

最近、食堂で夕飯を食べていた時に、こんな会話を部員たちとしていました。それは、自分の家族に関する話です。端艇部公式HPにも書いてある通り、僕は栃木県出身です。県名の田舎くささから臭ってくる通り、僕の父方の祖父母は県南で稲作農家をしています。父は次男で家業を継いでいるわけではありませんが、田植えの季節になると伊澤家は家族総出で稲作農家に転身します。僕もGWになると、ほぼ毎年父の実家に行って田植えの手伝いをしています。何を隠そう、僕にとってGWは泥んこ遊びの1週間なのです。
 

こんな話をしたら、みんな一様に驚いていました。聞くと、みんな学校の授業でしか田植えをしたことがないばかりか、そもそも身内に農家すらいないというのです。これだから都会っ子は。
 

そんなわけで、ボート部には農民の子が僕しかいないらしいんですが、これって結構いいアイデンティティだなって最近感じています。みんながしたことのない経験を当たり前のように積んでいるって、なんだか特別感があってちょっといいですよね。そしてこうやって自分の家族や過去について思いを巡らすと、自分の今の性格や気質が形成されてきた経緯がわかる気がしてきました。不思議。
 

ちなみに今のボート部には、いろいろな人を家族にもつ部員が多くいます。父親が弁護士の奴と検察官の後輩がいるので、刑事訴訟の時にはぜひ二人でバトってほしいですね。実家が日本料理屋をやっている奴もいます。親子丼がうまい!!みなさん食べに行って!!
 

つまり、みんな違ってみんないいってことですね。金子みすず。
 

でも、この2年間をボート部員として過ごして、いまだに栃木出身のボート関係者にでくわしたことがありません。栃木県民よ、ボートを漕げ。
 

そもそもうちの大学に進学してくる栃木人が少ないのが原因の一つですね。栃木県の進学校といったら、宇○宮高校や栃○高校などがその筆頭格ですが、それでも年に一桁ずつ程度。東工大は一学年に1500名の同級生がいるわけですから、その中の栃木県人なんて塵みたいなもんですね。でも東工大OBに目を向けると、なかなか栃木県人も捨てたもんじゃないですよ。例えば野澤一郎さん。この方は栃木県の真岡市出身ですが、なんと現在端艇部の艇庫所在地を部に寄付してくれたのは野澤さんなのです。ちなみに東工大武道場に掲げられている書道の字も野澤さんが書いたものらしいです。そしてこの野澤さんは巴コーポレーションという会社を設立され、その初代社長を務められていました。そのお金で出身の真岡高校に奨学金の基金を設立し、今でもなお県内の学生向けに給付型奨学金を支給しています
(ちなみに僕も大学一年の時にいただきました。ありがとうございます。)
 

といったわけで、実は伊澤はボート部員としても個人としても偉大な栃木県人OBに支えられていたというオチです。ありがとう、栃木県。
 

何が言いたいのかわからなくなっていますが、つまりボート部は十人十色で面白い部活だ、ということです。今年の一年生も、いろんなバックグラウンドをもつ子たちが入部してくれるととても嬉しいですね。栃木県出身は大歓迎です。両腕をあげて号泣して喜びます。
 

1ヶ月後にいる新入ボート部員の面々が楽しみですね。

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          栃木県はゴリラの横顔です 

 こんにちは。伊澤です。

 直近の記事が出てから、10日近くが経ってしまいました。東工大端艇部のブログを楽しみにされている方々、大変申し訳ありません。現在、僕も一応ブログ編集担当なのですが、どうも人にモノを頼むのが億劫でなかなか記事提出を催促できないうちに、いつの間にかこんなにブログの更新間隔が空いてしまいました。これからはコンスタントを意識していきたいですね。

 

 最後に僕が記事を書いてからかなり時間が空いたので、記事のネタも結構溜まっています。今回の記事で全部書くのは無謀なのでやめますが、更新頻度が低い分長文を書こうかと思います。お題は、今年1年間の振り返りです(外語大ボート部のブログに触発されました)。

 

 

4月〉

 今年度の初めは、個人的にかなり頑張った時期だったと感じています。というのも、実は学外のとある学生団体の新歓へ参加してみたのです。普段あまり自発的に行動しない僕にしては、なかなか思い切った行動だったと思います。何せボート部への入部を決めたのも、最初に新歓に参加した運動部が端艇部で、それ以外の新歓に参加するのが面倒だったくらいなので。
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 学生団体の新歓で訪れた経済産業省最上階会議室から見下ろす財務省
 

  ボート部の方では、なんといっても新歓に精を出しましたね。連日続く試乗会。新入生獲得のために尽力しなければならないのは重々承知していましたが、かなり骨が折れました。
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多分大岡山でのビラ配りの後の夕食@伯爵池袋東口店

明らかに場違いな服装ですね。
 

 ところで、この頃は色々なところへ出掛けて外食をしていました。食べログで美味しそうな店を調べては、試しに食べに行ってみました。おかげで今財政難な訳ですね。でもなかなか楽しかった記憶が残っているのでOKです。
  

5月〉

 田舎出身者なら、ゴールデンウィークの時期に何をするかはお決まりのはず。そう、田植えですね。

僕の父の実家は栃木で稲作農家をしています。場所により日程が異なりますが、うちの場合はGWにちょうど田植えの時期がやってきます。そのため、僕たち一家は毎年田植えの手伝いをしに父の実家へ行っています。とはいっても、中高時代は勉学に勤しんでいたので行けていませんでしたが。
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手で稲を植えているところ

田んぼの端は機械を入れにくいので、手作業で植えていきます。

いくら栃木でも田植え機はあるので、ご安心を。

 中旬には、うちの主務さんと一緒に早稲田大学に行きました。別に早稲田はメインではなく、目的は高田馬場にある「とん太」というとんかつ屋です。でもせっかく早稲田に行ったので、生協みたいなところで早稲田スウェットを買って帰りました。今でも愛用しています。
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夜の大隈重信と対面する伊澤

 東工大端艇部ブログの記事にもなりましたが、濱田がめちゃめちゃ体に悪そうなトーストを食べていたのも5月でしたね。
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いつ見ても体に毒(うまそう)なトースト

6月〉

 月初めに、関東を大雨が襲いましたね。荒川の防ぐために戸田ボートコースに水を流入させたようなのですが、おかげで船台はこの通り。こんな戸田は初めて見たので、なかなか新鮮でした。 
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船台に乗って水深を手で推測する小岩くん

 大石が地惑の授業で使うための石を探すとかいって、18日に夜の荒川河川敷に繰り出していきました。見てわかる通り荒川河川敷はかなりしっかり堤防工事がされているので、土着性強めの岩石が見つかるわけもないということは想像に難くなかったわけですが、予想に反せず結局大石が目当てとしていた石は見つからなかったようです。それはともかく、こんなガタイのいい男が22時の河川敷で石拾いをしているなんて、側から見たらどれだけ不審に見えたことでしょうね。
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石拾いの帰りに撮影した夜の戸田ボートコース

 19日に一橋大学へ行っています。なんのためだったか覚えていませんが、おそらく学生証発行をお願いしに行ったのだと思います。僕は現在四大学連合文理総合コースに所属しているため、一橋学生証が教場試験で必要になります。そのために、わざわざ小一時間かけて一橋まで行ったのでしょうね。一橋大学は、東工大と違って煉瓦造りの歴史を感じさせる建物ばかりでした。僕的には、一橋のキャンパスの方が好きですね。 
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大学本部(多分)

 

7月〉

 僕が昨年で一番力を注いだイベント、学内レガッタがありましたね。やってみるまで知らなかったのですが、学内レガッタ開催はかなりキツい仕事でした。事前段階として、大学支援課との調整やビラ作成、学内への配布や当日参加する運営メンバーの動線作り(これが一番大変だった)…

ちなみに、今現在も学内レガッタの事務作業は終了していません。これはある意味自分の怠惰のせいでもあるのですが。
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 オール付け替えのため、回漕レーン上に止まるナックルへ爆速で新オールを届ける伊澤
 

 そして再度の一橋。今回は、憲法学の講義の教場試験を受験しに行きました。少し早めに国立へ到着したので、知るカフェ一橋大学前店に行ってみました。東工大店とは大違いですね。何より椅子が座りやすい。

ちなみに憲法はちゃんと得単していました。
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試験を受けた講義棟 

本来の試験日に受験できなかったので、受験者は僕一人でした。

 

8月〉

 85日には、戸田橋花火大会がありましたね。戸田艇庫から花火がこんなに綺麗に見えると思っていなかったので、外に出かけず楽しめてよかったです。

僕が働いているジムの会員さん曰く、昔の東大や早稲田などは艇庫屋上を観覧席として開放していたようです。東工大はどうだったかわかりませんが、もし今年も一般開放していたらさぞ賑やかだったことでしょう。そして東工大生のやかましさが世に知れたことでしょう。 
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濱田と川島 楽しそう
 

 久しぶりに栃木に帰りました。別に最寄りというわけでもなく、宇都宮駅へふらっと行ってみた時のこと。昨今話題を呼ぶLRTが試運転していました!宇都宮は、日本一の都市への歩みを進めましたね。 
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JR宇都宮駅東口から撮ったLRT

 

9月〉

 今回は個人的1年間の振り返りなので書きますが、月初めには所属している学生団体が開催するコンテストに運営側として参加しました。長い期間をオリンピックセンターで過ごしたので、普段思わないのに艇庫が恋しくなりましたね。
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真面目な顔で資料に目を通しています

 

 中旬には、中学時代の友達と草津まで男二人旅をしました。草津いいところだな〜と思いました。でも最近TVで「草津は泉質が酸性だから、車の塗装や電化製品はすぐダメになる」と行っていたので、旅行で温泉を楽しむくらいがちょうどいいですね。 

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めちゃめちゃ緑
 

 人生で初めて、一人で観光地にいきました。弾丸国立科学博物館観光です。別に行く予定なんてなかったんですが、色々あっていつの間にか上野にいました。到着して気づきましたが、2023年は関東大震災発生から100年の年でした。せっかくなので企画展に足を運んでみました。この震災によって、端艇部が最初に居を構えた蔵前艇庫も焼失したわけだから、私たちボート部員にとっても他人事ではないのかもしれないですね。
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企画展のパンフレット
 

なんやかんやあって、8~9月は色々なところに出かけていました。懐かしいです。

10月〉

 人生初めてバーというところにいきました。学生団体経由でやってきた国会議員さんのイベントの帰りに連れて行ってもらった千代田区のバーです。何が何やらさっぱり分からず、とりあえず先輩の注文と同じものをいただきました。名前は忘れましたが、泥臭いけど美味しいやつです。バー通の方、どなたか教えてください。
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メニューを広げているのに、何を注文したか分からない
 

 中旬、チームラボなるところに行ってみました。建物からして綺麗でしたが、内観もとても素敵で面白かったです。帰りに見た豊洲の夜景に息を呑みました。
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豊洲 綺麗

 

11月〉

 艇庫の暇人たちを引き連れて、早稲田の学祭にいきました。引き連れてと言いましたが、僕は僕でいきたいところがあって行ったので、正確には「たまたま一緒に行った」です。残念ながら目当ての玉木雄一郎衆議院議員の講演には時間的に間に合わず、かといってそれ以外に寄る企画も考えていなかったので、何もせず帰りました。

意味が分からない。 
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写真はちゃんと撮ってきました
 

 ところがどっこい。時間を作って駒場祭に行ってみると、今度は講演会開始時刻にちゃんと間に合い、無事玉木議員のお話を聞くことができました。

なぜ、玉木代表の話を聞きたかったのかというと、ちょうどこの時期に「社会問題の構造化」というものを考えていたからです。玉木さんの講演内容の是非はともかくとして、このような社会問題の関連付けの方法は学びになりました。
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若者からおじさん(大学教員?)までたくさんのオーディエンスがいました

 

まだ12月以降が残っていますが、疲れたのでやめます。

007「慰めの報酬」を流しながら記事を書いていましたが、ダラダラしすぎて〈9月〉を書き終わるころには映画も終了していました。続きはまた今度書きます。

 実は今、新歓パンフレットを作成するために東工大の歴史を掘り起こしています。その中で色々と面白い事実が見つかってきたので、ゆくゆくは記事にしようかなと考えています。

自分の地元も然り、部活も然り、その文化や組織に愛着を感じるために、その歴史を知ることは大切ですからね。ぜひ部員のみんなにも端艇部の歴史を知ってもらいたいと思います。

 

今回はかなり長い記事になりました。次回誰が書くのかわかりませんが、多分また僕になるのかなと勝手に思ってます。そうならないことも願っていますが。

それでは、最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

副務 伊澤 諒

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