東京科学大学 理工学系漕艇部員日記

東京科学大学理工学系漕艇部の漕手、コックス、マネージャー、トレーナー達による日常紹介

東京科学大学理工学系漕艇部での日々を皆様にお届けします

カテゴリ: 2022年度入部者

こんにちは。お久しぶりです。修士1年・学生コーチだったはずの小岩です。

今週末行われる五大学レガッタに出漕する対校エイトのクルーを紹介していきます。

 

S 塩尻直生(3年、応用化学系)

お花見レガッタに引き続き整調を務めています。最近は身長を伸ばそうと頑張っているようです。今の身長のままでも無限の体力で対校の整調にふさわしい活躍をしてくれると思います。彼が生み出すラストスパートは科学大の最後で最強の切り札なので、観客席の皆さん乞うご期待です。

 

7 石橋賢太(4年、応用化学系)

最近なにかと2年生からいじられている姿を見かけます。今年も艇庫の犬キャラを確立しているようです。そんな彼ですが水上では唯一無二の7番として活躍してくれるので筆者は信頼しています。本番でも持ち前の安定感で、勝利を手繰り寄せてくれることでしょう。

 

6 水越友喜(3年、経営工学系)

相変わらず欠点のない男、水越です。昨年から対校エイトの不動の6番の彼は、新歓でも圧倒的しごできを発揮して大活躍でした。睡眠不足だろうと忙しかろうと全くパフォーマンスを落とさない彼の姿は、筆者も真似したいと思っていますがなかなかできたものではありません。

 

5 小岩泰治(修士1年、エネルギー・情報コース)

筆者です。元々乗る予定だった黒木くんの代漕という形ですが出漕する機会を頂けたのは、実は個人的には嬉しかったです。昨年のインカレでは直前に体調を崩して実力を出しきれなかったという悔しさがあったので、もう一度頂けた舞台を存分に楽しんできます。

 

4 奥田洋輔(4年、応用化学系)

頼れる主将の洋輔です。最上級生が少なく大変なことも多いと思いますが、部内の一つひとつの問題と真摯に向き合っていく姿は本当に良い主将だなと思います。2年前にはパンフレットに落書きして遊んでいた彼も、今となってはここまで成長したのかと先輩として感動しています。ちなみに筆者の方が年下です。

 

3 諸橋優大(2年、システム制御系)

青森が生んだ野球少年、1年前の新歓イベントの皇居ランでド根性の走りを見せて先輩を驚かせた諸橋は、今では対校エイトのクルーにまで成長しました。持ち前のストイックさは健在で、最近でも少し目を離すといつの間にかエルゴメニューを自主的にやっていたりします。エイトに乗って以来技術も飛躍的に伸びていて、彼が後ろにいるのは心強いです。

 

2 堀桂太朗(2年、経営工学系)

お花見からサイドを変えての出漕ですが、2年生で一番器用な彼にとっては何も問題ありません。3番・諸橋とともに大きな成長を遂げた姿は、コーチ陣も手放しで褒めていました。新歓でも大活躍。唯一の欠点といえば、先輩をナメていることでしょう。実は筆者より身長が高いわけではないことが最近判明しました。

 

B 雲田航世(3年、情報工学系)

次期主将と目されているとかいないとか。後輩への細やかな気配りや、冬練中1人で毎日20km以上を漕いでいた根性は、来年度の部の中核を担うにふさわしいものであることは間違いないでしょう。そして彼の強みはレース中盤での足蹴り、苦しい時でも艇の動きを一瞬で取り戻してくれる心強いバウです。

 

C 遊佐玲翔(4年、機械系)

主務兼対校COX(順不同)というとんでもない仕事をこなしています。艇庫の治安が守られているのは間違いなく彼のおかげです。そしてもちろん持ち前のパッションは健在。レースの苦しい時の彼からの声掛けはやはりエネルギーをもらえますね。本番でも情熱あふれるコールを遺憾なく発揮してくれると期待しています。

 

1ヶ月前に五大エイトに乗ることが決まったことはどうなることかと思いましたが、最近調子も上がってきており、先日の水上TTでは去年の対校エイトよりも速いタイムを出せたのが嬉しかったですね。

今の現役の選手たちは、ハードな練習やコンディションの悪い練習にも文句一つ言わず努力を重ねていく素直さがあり、そこが強みだと思っているし、ポテンシャルも勝負強さも持ち合わせていると思います。

思い返せば1年半前、自分が主将就任した時に立てた目標のひとつが「2026年の五大で優勝できるチームを作る」でした。まさかこんな形で自分が関わるとは思っていませんでしたが、自分の代の1年間も後輩たちの冬も全て正解にできるように全力で頑張ります。応援よろしくお願いします。
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駅伝の季節、やってきました〜!🍂🏃‍♂️

本日、大岡山キャンパスにて 「科学大学内駅伝」が開催されます!

科学大の部活同士がしのぎを削るこの大会、漕艇部も黙っていません。漕艇部からは2チームが大岡山を駆けます!


🚣‍♂️漕艇部Aチーム


対校クルーです。漕艇部の精鋭を集めました。

漕艇部のプライドと威信を背負い、学内の頂点を狙いにいきます!


メンバーを紹介します。


1区 諸橋優大(1年、工学院)

青森が生んだ超ストイック少年。エルゴだろうが駅伝だろうが、彼の前に怖いものはありません。持ち前の根性で、良い位置でたすきを繋いでくれることでしょう。


2区 水越友喜(2年、工学院経営工学系)

花の2区を走るのは、欠点のない男、水越です。最近色気付いているともっぱらの噂。

本番のレースでも、欠点のない完璧な走りで魅せてくれるはずです。



3区 正木智大(1年、工学院)

「ほんまにえぐい〜」が口癖、ボート部のムードメーカー正木です。最近よく小岩のイントネーションにツッコミを入れています。納得いきません。

本番もほんまにえぐい走りを見せてくれることでしょう。


4区 小岩泰治(4年、物質理工学院材料系)

前主将・小岩、本日限りの復活です。4年間ずっと駅伝に出たかったのでとても気合が入っています。塩尻がジョグして勝てるくらいのリードでたすきを繋ぎます。


5区 塩尻直生(2年、物質理工学院応用化学系)

アンカーを務めるのは我らがエース塩尻です。コンスタントの安定感もラストの爆発力も一流。大会記録を狙えそうです。本番では他を寄せ付けない優勝のゴールテープを切ってくれます。



もう一つのチーム「漕艇部E」の紹介はそのメンバーが書くブログに期待しましょう。なぜAチームの次にEチームと名前が付いているのか、それはレースを見てのお楽しみ。


応援よろしくお願いします!

東京科学大学理工学系漕艇部OBの伊澤諒です。
現役時代は一貫してマネージャー業務に従事し、主務としてその活動を終えました。

 

 

この記事は、以下の構成をとった大変長大な文章群になっています。

 

・「ボート部」とマネージャー

・マネージャーの「成長」とは何か

・「ボート部」の悲劇を生み出さないために

・後悔できる環境をつくるということ

・終わりに

 

 

 

 ボート部関係者でない人からボート部員としてどんな活動をしてきたのか尋ねられたとき、僕は必ず「最初は漕手として入部したが、学業(教職科目)との折り合いがつかずマネージャーに転向した」と伝えていました。要点は「最初は漕手として入部した」ということです。
これはわずかに正しくかなり間違っています。漕手として活動したいという気持ちが入部当初にあったこと、これは間違いありません。しかし実際には、漕手活動といえば大岡山キャンパスでの陸上トレーニングに参加したのみで、戸田での乗艇練習には一度も参加していませんでした。実際に漕いだことがないのに「最初は漕手として入部した」というのは、かなり間違っています。

 それではなぜ、「最初は漕手として入部した」と伝え続けていたのか。それは、「ボート部」とのつながりを保ち続けたかったからです。
安間が引退ブログ内で挙げていたように(引退ブログ 4年漕手安間光一)、少なくとも第三者視点に立った場合、マネージャーの仕事は単調で面倒な業務が大半を占めています。さらに、ほとんどすべての仕事は「ボート部」という母体に根ざしていません。

 

 

「ボート部」とマネージャー

生成AI Perplexityに「ボート部とは何か」と問うと、以下の回答を受けました。

–       ボート部とは、競技ボート(ローイング)を行うための運動部・部活動で、細長いボートに乗ってオールで水をかき、決められた距離をどれだけ速く漕ぎ切れるかを競う組織のことを指す

参考資料として生成AIの出力結果を使うことの是非は別として、要するに「ボート部」は選手たちがより優れた成績めがけて努力し続ける団体です。当然ながら。
一方で、マネージャーの業務は選手たちのそれよりも目標が不明瞭です。つまり、マネージャーの活動目的は「選手たちがより優れた成績めがけて努力し続けられる環境を整えること」にありますが、目的の漠然性ゆえそれに向けて設定されるべき目標は、例えば2000TTを6分30秒より速く引く、といったような明瞭なものになり得ない、ということです。

 よほどのことがない限り、マネージャーの主たる仕事は①飯炊き、②ビデオ撮影、③SNS運用に集約されます(理工学系漕艇部のマネージャー陣)。選手側の視点に立つと、直接的であれ間接的であれ、いずれの仕事も重要なものでしょう。一方、マネージャーの視点に立った場合、これらの仕事と「ボート部」とは、どのように結びついているのか。
ご承知のとおり、③SNS運用は部活動に関わらずさまざまな主体が実施している/実施できるものです。②ビデオ撮影は、いわゆる練習を行う活動をしている団体(=大半の運動部)であれば必然的に実施します。残る①飯炊きは、一見すると「ボート部」とよく結びついているように思われますが、そもそも食事作りはマネージャーの独占業務ではあり得ず(生きている人間は誰しも食事を作る)、実際問題として、練習があるにも関わらずマネージャーが誰もシフトに入っていない場合には、艇庫にいる現役選手や引退したコーチたちが飯炊きをしています。

 よほどのことがない限り行われるマネージャーの主たる仕事を普通にこなす分には、”ボート部に所属”している”マネージャー”だからこそ取り組めることは1つもない、と僕は感じてしまいます。その意味で、主たる仕事を行うだけのマネージャーは、言ってしまえば「ボート部」という母体から浮き足立った根無し草のような存在に思えます。

 

 

マネージャーの「成長」とは何か

 僕は今「引退ブログ」を書いていますが、執筆の参考として他大ボート部のマネージャー引退ブログを覗いてみました。そこで散見されたのは、「ボート部で成長できた」「色々な経験をすることができた」といったコメント群。ボート部に身を置いておけば自然と様々な体験・経験をしますから、後者のコメントは単なる事実として理解できます。しかし「ボート部で成長できた」とは、いったい何なのか。ここまで踏み込まれた記事は、あまりないように思います。
マネージャーにとっての「成長」とは何でしょう。
あるマネージャーにとって「成長」とは、「自分に利益をもたらさない仕事をこなす中で、他者のために身を粉にする忍耐力・体力をつけられたこと」になるかもしれません。「多くの学生と協力して一つのタスク(飯炊、ビデオ撮影、…)に全力投球できるようになったこと」も「成長」と言えると思います。

いくつかの引退ブログ記事を読む中で、このようなコメントを見つけました。
「所属しているだけで自然と成長できるわけではなく、目的を意識し、自分で考えて行動してこそ成長は生まれる。それがこの4年間で実感したことです。」
非常に重要な考え方だと感じました。
僕は常々、仕事をするときには頭の体操をすることが大切だ、と感じています(し、当時副務だった遊佐くんには耳タコになるほど言っていました)。

なぜなら、マネージャーである僕にとって「成長」とは、「目的(=マネージャーの活動目的)を意識し、自分で考えて行動(=どうすれば目的に適う仕事ができるようになるか)できるようになること」であるからです。
そして、マネージャーにとって「ボート部のために自分の仕事を顧みて、目的のためにアレンジする(=頭を使う)」ことこそ、マネージャーの独占業務なのだと思います。

 

 繰り返しになりますが、選手たちはレースで勝つために死に物狂いで頭と体をフル活用します。そしてマネージャーはそれを支える立場です。
この文からも明らかな通り、マネージャーは選手に比べてはるかに頭を使う余地が幅広くあると僕は考えます。
すなわち、目標が不明瞭であるがゆえに、マネージャーは様々な方向性で選手たちの取り組みを支援できるということです。

 例えば、③SNS運用をするにしても、そもそもSNSで情報発信する目的はどこにあるのかを考えるところから出発し、その目的から適切な発信内容を定め、SNSツールそれぞれに適した文体・説明の詳細度などを決定するところに行き着きます。
情報発信の目的はいくつもありますから、仮に「非ボート経験者(=部員の親族、大学の他部、将来の新入生たち)に向けてボート部の日常を発信することで、弊部への周知・支援を狙うこと」と定めます。対象は比較的若年層であり、深く検索せず目につく形で広報する必要があるため、HPやFacebook、ブログよりもInstagramやXを優先的に使う。相手はボートについてほとんど知識を持たない主体であるから、パッと見てボート部の活動がわかりやすい言葉、写真を組み合わせる。ただし、SNSはボート部OBOGや関係者も閲覧するから、常識・定石から逸脱しすぎるような内容は控える。

 あるいは、ボート部の活動に必要だが取り組んでいない業務を発掘することでも、選手たちを支えることにつながります。
具体例を出すことは憚られますが、他の主体(OBOGの方々など)と協力することで仕事の幅はグッと広がるはずです。

 逆にいえば、これまでやられてきた仕事だから自分も同じように行うというマインドは、最も避けるべきだと思います。
「先輩がこうやっていたから同じようにやる」「指示されたからそれだけこなす」のは、単に自分で頭を使う成長ができないだけでなく、部にとってプラスの貢献を生み出すことができず、さらには「自分がボート部にいることの意義」を見いだせなくなる。
少なくとも部活動の場合、仕事を受け渡す側も受け取る側も、指示する側も指示される側も、完璧な状態で仕事に取り組んでいた訳がありません。
「今年Twitter(X)の投稿担当になったんですけど、これって何をやればいいんですか?」「僕も去年あんまりやれていなかったからわからないんだけど、とりあえずSlackの

広報チャンネルにあげられた画像とメッセージをUPしておけばいいよ〜」
「わかりました!ありがとうございます!」では、何の修正も進化も達成感も得られません。

 

 「ボート部」のために自分で考えて行動すること。それが”ボート部に所属”している”マネージャー”だからこそ得られる活動実感であり、最終的な「成長」の指標になると思います。そして、「脱根無し草」のための有力な手段になるはずです。

 

 

「ボート部」の悲劇を生み出さないために

 マネージャーが「脱根無し草」を目指すとき、一つの大きな問題があります。それは、マネージャー自身の内側に「脱根無し草」を目指す動機がないことです。
これは、「ボート部」にとってもマネージャー自身にとっても悲劇です。
「ボート部」からすれば、そのマネージャーは単なる数合わせ(見かけの部員数が増える)でしかなく、マネージャー自身は、「ボート部」における自分の存在意義を見捨て、有意義であるはずの機会を損失させることになります。

 この悲劇を生み出さないために「ボート部」がとれる選択肢は、あまり多くない上に実効的でないと思います。
手短なところで言えば、選手とマネージャーの交流を増やすこと。昨年から東京科学大学理工学系漕艇部では、部員の交流イベントと称して、体育館や公園などでスポーツを行ったり、一緒にご飯を食べに行ったりしています。しかしここで問題になるのは、そもそもマネージャーがこれに参加しない、ということ。
交流を増やすという文脈では、今年から行われているような「仕事を介した交流」も手段としてはあり得ます。これまでマネージャー内で実施する(はずだった)SNS運用を、漕手も含めて分業する。感情面での根を「ボート部」に下すことはできるかもしれませんが、これを続けた場合マネージャーに与える業務幅の縮小、それに起因する自発性・「頭を使う」体験の減退といった影響は、何とも言えません。
もっと実際的な取り組みとしては、これも今年から行われている「クルーマネージャー制度」がより有効です。
マネージャーにとって時間的負担がかなり増える制度ですが、同時にサポーターとしての学びが多く得られるものでもあると思います。
 最もラディカルで有効な選択肢は、新入生勧誘の方法を変えることだと僕は考えます。
現在のボート部におけるマネージャー新勧の謳い文句は、「シフト制だから好きなタイミングで仕事できるよ」「先輩マネが手取り足取り教えてくれるから大変なことなんてないよ」といったものです。
練習の過激さを全面に出している選手の新勧とは、温度感・速度感があまりに違いすぎます。
それにも関わらず、「ボート部」は最終的に主務になりうる高水準のマネージャーを欲しています(主務経験者が言うのは大変憚られるが)。
これはマネージャー視点からすれば、車体(=マネ)が全然前進していないのにエンジン(=選手)がフル回転している状態でローギアに入れてクラッチを離すようなものです。
エンストするのは必然です。
これが悲劇の源泉であるから、私は新勧のあり方を刷新する必要があると考えるのです。
 マネージャーが自発的に「脱根無し草」を目指す動機づけをすることも、できなくはないと思います(前後倒錯した考え方かもしれませんが)。
それは、「自分は『ボート部』の重要な一員である」と強く思い込むことです。
僕の場合は、入部当初の段階で奇跡的にそう思い込める状態にありました。
すなわち、一瞬だけあった「漕手」期間をきっかけにして、自分が「ボート部」と繋がりがある存在である、ゆえに「ボート部」にとってプラスの貢献をなすことが必要だ、と思考するように仕向けていました。
「ボート部」とのつながりを保ち続けたかった裏返しとして、「最初は漕手として入部した」と外部の人に伝え続けていました。
 僕のように自分の思考を仕向けるのはなかなか難しいかもしれません。
したがって、「自分はなぜボート部にいるのか」という問いに対して、「なぜならボート部に入部したから」などという脳死の回答以外の答えが思い浮かぶまで向き合い続ける、というのも、自発的動機づけとしては有効かもしれません。

 

 

後悔できる環境をつくるということ

 ボート部生活の4年間を終えて、僕は「後悔」するということの良さを感じました。
インカレA決勝進出といった最終目標(=目的)を達成するに当たっては、最後に「後悔する」などあってはなりません。
しかしながら、最終目標めがけて全力で活動すればするほど、「後悔」する機会にまみれていきます。「後悔」する機会とは、漕手で言えば冬練の在り方や、不調者に対処するために迫られる選択などです。
そして、最終的にこの目的が達成されなかったとき、「後悔」の蓄積に襲われる。
目的が達成された時でさえも、達成による気分高揚で一時的盲目状態になっているだけで、後から振り返ればいずれ必ず「後悔」の断片が自分に突き刺さります。
 したがって、最終目標に突き進む途中段階であれば「後悔」は絶対に避けなければなりませんが、全てが終わった後はむしろ「後悔」することをしっかり受け止め、あるいは受け流せばいいのだと思います。
さらに言えば、「後悔」は自分がどれだけ「ボート部」に真剣に向き合ったかという過去の事実に対する指標になると僕は考えます。
「後悔」は口にできても目には見えないため、自分に嘘をつかない限り、これまでの活動を振り返るに当たって自身を正当に評価できる数少ない有力なバロメータになります。

 

 しかし、殊マネージャーの「後悔」については、選手たちとは異なる問題が発生します。
それは、「後悔」の質と程度です。

 選手は「ボート部」を大学生活の主軸に据えることを前提として活動をするため、「後悔」の源泉は「ことあるごとにやってくる選択の嵐それぞれに対し、いかに真摯に真剣に向き合えたか」にあります。
一方マネージャーは、先ほど挙げた選手とマネそれぞれの新勧方法の違いにより、「ボート部」が必ずしも大学生活上重視されるわけではありません。場合によっては、就活で有利になるから籍を置いておくだけ、などという有害な状態にもなりうる。
したがって、マネージャーが感じる「後悔」の質や程度が、選手のそれとは比較にならないほど多種多様になってしまう危険性があります。
ここで「危険性」と表現しているのは、この問題がマネージャー個人にとどまらず、それ以降の後輩たちにも波及する恐れがあるからです。
つまり、「先輩がこれしかやっていないからこんなもんでいいんだ」という不正確な理解・認識を後輩がもってしまい、結果としてマネージャーの質が低下し続けてしまうことになりかねません。
また、「後悔」の質や程度が選手-マネージャー間によって、あるいは人によって違うということは、その代が精神的に一枚岩になれていなかったことを指摘します。

 ゆえに、特にマネージャーに関しては、まず「後悔できる環境をつくる」ということが大変重要になります。
その方策はその代、その時の環境によって異なるでしょうから、各々の代が頭を使って考え続けることが求められます。

 

 

終わりに

 ここまで、現役部員時代に思っていたこと、引退してから感じたことをまとめました(まとまっていませんが)。
とにかく、質の高い「後悔」ができるようになろう、そのために死に物狂いで(色々な意味で)頑張ってくれ、というのが、現役の皆さんへの僕からの遺言です。

 

 OBOGの皆様、日頃より現役部員の活動をご支援いただき、ありがとうございます。
特に理事会メンバーの皆様は、毎日のようにオンライン/オフライン問わず主務業務をお支えいただき、感謝してもしきれません。
先輩・同期・後輩マネが少ない中、最後まで主務としてやり通せたのは、ひとえにこうしたご支援をいただけたおかげだと思っています。

来年から僕も社会人の一員になりますので、OBの一人としてこれからもお世話になります。

 

 

 最後に、僕の出身高校の校訓をご紹介したいと思います。

〜爾の立てるところを深く掘れ、然らばそこに清き泉湧かん〜

ニーチェの「悦ばしき知識」からとられた言葉とのことですが、これはなかなかにいい言葉で、ことあるごとに思い返しています。

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 お久しぶりです。東京科学大学理工学系漕艇部OBの安間光一です。僕の最後のレースから2ヶ月が経ちました。引退ブログを頼まれていたのですが、書いている途中に引退してからのことを書きすぎてしまったため別の記事にしました。ですので、漕手・安間光一の引退ブログとは別物になります。ご了承ください。

 

 

 

 僕は引退してからというもの、新人戦の対校フォアのコーチ業とマネージャーがいない時のマネージャー業をしていました。結局あれだけの言葉を並べて名残惜しんでいた艇庫生活は、僕のもとから離れては行きませんでした。練習は無くなり、僕に課せられた勝利という義務も、みんなからの期待も背負う必要がなくなりました。同期のみんなも、対校対抗フォアに乗っていた小岩以外はたまにしか会えなくなってしまいました。

 それでも、忙しない日々の中で、その思いは少しずつ薄れていきました。後輩たちの勝利という目標を見つけられたから、寂しさを忘れることができたのでしょう。

 

 

 OBとして艇庫で過ごした日々は新鮮なものでした。一番大きな変化は、自分の犠牲を厭わなくなったことでしょうか。現役の不利益と自分の不利益なら、自分の不利益の方が小さいと感じます。自分が現役だった頃は、自分も強くなる義務があったため、他人のために全力を注ぐことはできていませんでした。睡眠を削って働けば人の為になると分かっていても、自分の身を案じて寝なければならなかったし、ストレッチも食事もちゃんとしていなければならなかったからです。ですが今は、体が満足に動くレベルでなくてもいいのです。考慮することが減り、現役のサポートに全力を注ぐことができるようになりました。

 

 

 マネージャー業をかじって初めて分かったことですが、飯炊きもビデオも地味なのに、大変なものですね。ビデオは他の艇の観察をしたりできたので、コーチ業もやっている人間からすれば面白いものではありましたが、いつもビデオを撮ってくれるマネージャー達にとっては苦行でしょう。飯炊きも、授業が始まって以降は必ず1限の人たちが食べられるように作らなければいけないので、朝早く起きなければなりません。朝早く起きて、単調な飯炊きというのは面倒な業務です。

 

 マネージャー達は決してこんな不満を漕手に垂れることはありませんが、それ故に漕手しかやってこなかった僕はその大変さを知りませんでした。いや、知っていたつもりでしたが、この身で学ぶことでようやく理解できたのだと思います。現役の時、これを知っていれば、彼らにもっと心からの感謝を持ち、もっと優しくなれただろうと後悔しています。

 また、10月は4年生の仕事をシフト制にして僕がシフトを組んでみたのですが、まあ上手くいかないし面倒くさいことこの上なかったです。ミスも多かったし。人手不足やミスをカバーし続けてくれたあいりには深く感謝しています。

 

 

 コーチについては、とても楽しいものでした。Albusのクルーは、水越と塩尻が僕と共に半年間ずっとエイトに乗ってきていて、雲田はAlbusにずっと乗ってきていました。だから、組む時にはあまり心配していませんでした。しかし、蓋を開けてみれば、インカレエイトとフォアでの考え方が違った影響や、黒木とかとみずが乗艇に慣れていなかった影響で思ったよりガタガタでした。どう直そうかと非常に頭を悩ませたものです。しかし、初めからクルー全員が強くなることに大きな意欲を持っていたため、上達が非常に早かったです。特に黒木やかとみずには難しい要求を多くしてしまったけれど、必ずそれらに応えてくれました。

 傲慢な言い方ですが、僕の発言1つでクルーが変わるのが手に取るようにわかりました。だからこそ、僕は絶対に適当なことは言えないという責任を感じ、最善の手を常に考え続けていました。そのプロセスが楽しくて仕方なかったです。

 大会の頃には、クルーを組んで2ヶ月も経っていないのに、みんな別物になっていました。初めから見えていた癖や改善点は見事に無くなりました。大量の改善点からどれを言うか悩んでいたのに、気づけば改善点が見つからずに悩んでいました。

 

 全日新のレースは本当に素晴らしいものでした。僕にとっては雲の上だった日大に、絶対に勝つという心構えに、まず心を打たれました。準決勝前日に1時間近いミーティングをして、無茶とも言えるレースプランを組んでいたとき、ここまで強くなったのかと感動していました。レース本番では、序盤から果敢に攻め続け、日大相手にリードを取り続けていました。序盤から攻めるレースプランなんて、背水の陣なら誰でも取る手であり、僕も何度も経験があります。しかし、実際にリードをとれたことなんてありません。伴チャができなくて中継を見ていましたが、あの胸の高鳴りは感じたことがないくらいでした。彼らの努力の賜物ですね。阪大にも途中でリードを許しましたが、練習していた残り100mのMAXが刺さり、とんでもない伸びを見せて差し返していたのには驚きました。

 

 準決勝から帰ってきた時、涙を流す塩尻を見て、僕も思わず泣いてしまいました。人前で泣くのは嫌いなので、感情に流されないようかける言葉を準備しながら岸に戻ったのに、何も言えなくなってしまいました。それだけ強い思いが、彼らに、そして僕にもあったのでしょう。

 

 B決勝で悔し涙を流せる彼らなら、僕たちより確実に強くなってくれると確信しました。僕たちの掲げたA決勝の夢は、彼らに託すとしましょう。彼らにしか託せないからではなく、彼らならできるという確信を持って。

 

 

 

 

 

追記 小岩へ

 

 この2ヶ月間、本当にお疲れ様。対校対抗フォアのバウとして、何のため漕ぐのか見失いそうになりながらも全力で漕ぎ続けた小岩を、僕は尊敬しています。最後の2000TTは、その背中にこれまでの歩みが見えたような気がして、応援していて涙が出てきました。

 今は研究室が忙しくなって、今後についてずっと悩んでいることかと思います。漕手として復帰するか、コーチとなるか、あるいは別の選択肢もあるかも知れません。ただ、漕ぐにしろ、そうでないにしろ、その選択はどうか自分の意思で行ってください。周囲のために自分の選択を曲げないでください。今まで主将として、自分の意思を捻じ曲げて僕たちのために行動し続けてくれたのだから、主将の重荷が降りた今くらい、自分を大切にしてください。どんな道を選ぼうとも、僕はその選択を支持し、応援します。

 ———最終日に漕ぎたかった。みんなの期待に応えたかった。勝って仲間と泣きながら抱擁を交わしたかった。

 

 どうやったら強くなれるか、怪我や病気を防げるか、いっぱい寝られるか。こんなことを常に考えながら、仲間と共に忙しない日々を過ごす。辛いけど、楽しくて、愛おしいこの日々が、終わってしまった。先輩、後輩、そして同期の仲間たちとみんなで艇庫に住むという当たり前は、もうありません。

 

 ずっと前から、この日に引退するとわかってはいました。引退したらどう思うんだろう、と何度も想像していました。それなのに、まだ自分が現役でなくなったとは思えません。もう練習しなくて良いはずなのに、練習をしていない自分に罪悪感を覚えるし、疲労も溜まらないのに湯船に浸かってストレッチをするし、そこまでお腹が空いていないのに同じ米の量をわざわざ測って食べようとするのです。これを書いている今日は、最後のレースからもう4日が経っています。なのに、あんなに毎日やっていたスマホゲームすらやる気になれません。無気力、というわけではありませんが、今までのことがたくさん想起されて、ずっとしんみりしてしまうのです。ゲームを開いても、記憶を忘れないようにしているのか他のことに意識を向けられず、集中できません。現役の時は引退後にやりたいことがあれだけたくさんあったのに。

 引退式で送り出して貰ったとき、ようやく自分が引退するんだという実感が湧いたと思ったのに、まだ理解できていません。

 

 昔から、僕は「終わり」を極端に嫌がる人間でした。何事も、これが最後と言われると悲しくなる。新しい生活の始まりだなんてとても思えない。生活の全てが終わった今、頭が理解することを拒んでいるのかもしれません。

 

 でも、いつか終わりは訪れるものです。仮にM1, M2まで続けたところで、いつか引退するという未来は変わりません。いつこの終わりの気持ちを味わうかでしか無いのです。———

 

 

 

 ここまでが、僕が9月11日までに残していた言葉です。

 

 これを書いている今は11月5日(提出は12月8日。ごめんな田村)。後輩たちの新人戦が終わり、ボート部に、また長い冬が訪れようとしています。引退してからの生活については、別のブログ「あれから」をご覧ください。ここでは、漕手を引退したことについて綴らせていただきます。

 

 

 

 

 

 雰囲気に一目惚れしてこの部活に入って以来、新人として僕は順調な滑り出しをしていました。500mで吐きそうになっていたランニングもだんだんと出来るようになり、筋肉もついて(脂肪もついたけど)エルゴも着々と伸びていました。1年生の11月に6:56を記録し、このまま6:50くらいは切れると思っていました。新人期間は、きつかったけれど本当に楽しい期間でした。

 

 

 ところが、新人戦が終わってから、僕は停滞しました。新人コーチという厳しくしてくれる存在がいなくなって、甘えが出ていたのだと思います。当時はそこまでボートのことを好きでもなかったし、別になりたいものもない。ただ艇庫でみんなと暮らせればそれでよくて、モーションは当たり前にやってきて当たり前にこなすもので。その程度の意識でした。それでもいつか強くなれるだろうと思って、漫然と生きていました。

 

 

 結局、次にベストが出たのは3年の11月でした。この間の2年間、僕は怪我と病気を繰り返し、それらを減らすための努力のみをしていました。勝つための努力をしていませんでした。楽しい思い出は数多くあれど、あの期間は僕の中で大きな後悔です。

 この期間について綴ってみましたが、起伏の無い暗い文章の羅列になってしまったため補足資料に載せておきます。ただし、上記の理由で読むのはオススメしません。

 

 

 

 3年のインカレを終えて、僕たちが最高学年になって迎えた冬練は、僕はとにかく強くなりたいという一心でした。シングルやペアに乗るようになり、毎モーション何をすべきか考え、恐れずに全力で練習する。そんな当たり前が、ようやくできるようになりました。その結果、2年間止まっていたエルゴも再び伸び出し、エルゴが楽しくなりました。

 

 僕はコンディション係に就任し、自分の2年間の経験を生かして漕手全員の怪我を無くし、病気の蔓延を防ぐことを目標に活動しました。ただ、具体的に何をしたかと言われると、風呂を沸かしたり、少し痛みが出た際の判断をしたりとか、その程度でした。モーションの変更や病気の対応は独断ではなく、メニューを組んでくれていた小岩と、モーションの結果を管理してくれていた川島と3人で相談し、結論は小岩に出してもらっていました。

 

 結果として、3年の冬練は今までに類を見ない成功を果たしたと思います。怪我に怯えて全体の練習量を減らしすぎてしまったと反省していますが、あの判断に後悔はありません。体力的に2年間を棒に振っていた僕にとっては、あれが持続可能な最大ラインだったと思っていますから。

 

 

 後輩たちがこれからもっと良い冬練を作り上げるには、個人個人の現状と向き合い、練習を変えるといった努力が必要だと思います。例えば、僕はLSDが刺さりましたが小岩にはあまり刺さらず、逆に小岩に刺さった全力UTは僕には刺さりませんでした。この手法は一歩間違えれば楽な方に、自分のやりたい方に逃れるだけになってしまうと思います。ですが、本気で強くなりたいと思っている人間なら、やりたくないメニューでも自分が伸びるためにできるはずです。練習が終わった時の感情とかではなく、長いスパンでの成長や疲労の残り方から総合的に判断できたら理想です。

 

 

 

 冬練が開け、初めてエイトを組んだ時の感動は忘れられません。お花見で東大と競ることが出来たのも、全日本で4艇並んでの激闘が出来たのも、どれも今まででは考えられないものです。全日本は今でも考えただけで震えます。最後のシーズンは全てが違いました。

 一番違ったのは、誰もが本気で勝てると思っていたことだと思います。言葉には出さずともみんな薄々持っていた諦めの感情が、全く無かったのです。OBさんたちの期待もひしひしと感じました。3年の夏まで応えられないとわかっている応援が何より辛かったけれど、この時は応援が力になりました。このおかげで練習の質も部の雰囲気も、全てが良かったと思います。タイムも全日本までは順調に伸び続けていました。

 

 

 ターニングポイントは双青戦の後に起きたパンデミックだったと思います。ここまで何とか防ぎ続けてきたパンデミックが、遂に起きてしまったのです。これが、最終シーズンにおける僕の最大にして唯一の後悔です。コンディション係として、もっと慎重な対応ができていれば防げたかもしれないのに。そう思うと、やるせない気持ちが押し寄せてきます。

 

 それから、僕たちは伸び悩みました。伸び悩んだとは言っても伸びてはいたんですけど、伸びが緩やかになってしまいました。それでも、インカレまで諦めずに心の底から最終日を望んで戦いました。

 

 

 

 最後のインカレは、全てを賭けて戦いました。でも、届きませんでした。

 僕たちの新人コーチが最後のレースを終えた時に「もう漕がなくていいんだ」と思った、ということを聞き、僕もそう思うのかなと思っていました。でも、レースを終えたばかりの僕に、その達成感じみた感情はありませんでした。届かなかった無力感だけが僕の心を支配しました。涙を流すこともなく、ただ茫然と空を見上げました。

 

 

 

 ここまでが、僕の3年半の振り返りです。あの日々を忘れたくなくて、ついたくさん書いてしまいました。ふと思い出すのは楽しい思い出ばかりですが、辛いことが多いような書き方になってしまいましたね。

 

 

 

 振り返れば、僕には浜田みたいなエルゴも、石羽みたいな技術も、大石みたいな体格も、西みたいなポジティブさも、小岩みたいな心の強さも、何もありませんでした。だからこそ、自分に何ができるかを考え、部のために努力していました。自分が強くなれなくたって構わないから、全員で強くなって、エイトを少しでも進めてやろうとしていました。

 この考えを持ち始めたのは2年生の頃でしょうか。自分の能力に限界を感じ、こんな発想で動いていました。全員で強くなろうという考えは正しかったと今でも思います。結局、クルーボートで戦うのですから。

 

 しかし、自分の能力に見切りをつけたことは正しくありませんでした。楽な道に逃れ、強くなるための努力を怠っていました。自分があと少し強ければ刺せていたレースもきっとあったはずです。これを読んでくれている後輩たちも、才能の差みたいなものを感じる日が1日くらいは来ると思います。でも、強くなりたいと思い続け、動き続ければ、限界はそんなに近くないことに気づくはずです。これまでの人生でずっと才能を言い訳にしていたことを、僕はようやく知覚できました。

 

 

 上記の他にも、ボート部で本当に様々なことを学びました。楽しい日々と、かけがえのない仲間も得られました。今の僕を形成するものは、ボート部で得たものがほとんどだと思うくらいです。心から、この部に入って良かったです。共に歩んでくれた方々、支えてくれた方々、本当にありがとうございました。

 

 

 

 

最後に、ありきたりですが最後の言葉みたいなやつを綴ろうと思います。

 

 

 

 

 

 

僕という一漕手を応援してくれていた人へ

 

 こんな僕に期待して、応援してくれて、本当にありがとうございました。本当に力になりました。最後まで応援に応えることができなくてごめんなさい。

 漕手・安間光一の物語はここで終わりです。ですが、ボート部の物語はまだまだ続きます。これからは、僕と一緒に読者として、僕の愛したこの部活を応援してください。

 

 

 

マネージャーへ

 

 僕たちの日々を支えてくれたこと、何度感謝してもしきれません。僕たちが弱くて、僕たちの勝利を信じられなくなった日々も多かったと思います。そんな状況下でも、支えてくれてありがとう。これからはもうそんな日々は訪れないから、どうか選手たちをこれからも支え続けてください。頼みます。

 

 

 

高橋先輩、吉野先輩、廣瀬先輩へ

 

 ずっと僕たちに期待し続け、教え続けてくれてありがとうございました。最高学年を経験した今、あなた方がしてくれていたことの意味と価値がはっきりとわかる気がします。

 自分たちの引退試合の大部分が僕たちに左右されるという状況で、僕が努力を怠ることへの憤りは、今は想像に容易いです。僕たちの引退試合では後輩たちが全力で勝ちに来てくれたからこそ、そうできなかったことが本当に申し訳なくて、悔しいです。

 そんな状況下で、めげずに必死に僕たちを強くしてくれたことに、言葉を絶するほどの恩義を感じています。だからせめて、最後に結果で恩返しをしたかった。貴方たちの努力に身を結ばせたかったです。

 勝てなかったけれど、最後のシーズンで希望を持って戦えたのは貴方たちのおかげでした。本当にありがとうございました。

 

 

 

一年漕手、COXへ

 

 オッ盾、新人戦を終えて、なんだかボート部らしくなりましたね。君たちの雰囲気は、どこか僕たちに似ているところがある気がして、親近感を感じます。互いを貶し合って、悪口ばっかりなところとか特に。でも、君たちは僕たちよりもミーティングが長くて(別に良いことではないけど)ボートに真剣に向き合っていて、上達が早そうだと思います。そのやる気から過度に練習して怪我や病気を引き起こしちゃうのはいただけないけれど、どうかその気持ちは忘れないでください。辛い時、その心を忘れれば、僕と同じ末路を辿ります。どうか、折れぬ心で僕たちよりも強くなってください。

 

 

 

石橋、遊佐、雲田、矢口へ

 

 フォアに乗っていた2,3年生たちは、怪我や病気で辛い時期が多かったと思うけれど、よく辞めずに漕ぎ切ってくれました。君たちの状況は、昨年の僕と似ていたと思います。辛く、苦しい期間を経験した分、次のシーズンでは絶対に楽しんで欲しいです。その経験は糧になる。頑張って。

 

 

 

洋輔、塩尻、水越へ

 

 一緒にエイトに乗ってくれたのが君たちで良かったです。まだ来年以降もあるのに、今年の大会に全力を出してくれて、本当にありがとう。上手くなったね。僕が出来なかったことだから、より君たちの凄さを感じます。これからもこの部活を引っ張って行ってね。

 

 

 

最後に、同期のみんなへ

 

 3年半、ありがとう。これだけ一緒にいれば、僕が思っていることくらい大体わかると思うので、敢えて言うこともありません。ただ、同期が君たちで良かったです。楽しかったね。これからも定期的に会おうね。まずは引退旅行、絶対行くぞ。

 

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Appendix: 暗闇の2年間

 

 当時の記憶といえば、年末チャレンジを思い出します。その年までは恒例行事だったらしく、1年生は2重跳びを50回連続で跳べるまで家に帰れない、というものでした。僕は小学生の時、1回に全てをかける跳び方をしてようやく1回跳べるかどうかだったので、かなり絶望的に思えました。それでも練習を続け、最後の挑戦日に4時間ほど縄跳びを跳び続けた結果、見事に50回連続を達成し、家に帰る権利を得ました。

 しかし、その翌日から2日間革靴で歩き回るバイトをした結果、足首を壊しました。そして、当時はまだ新型コロナウイルスが猛威を振るっていた時期だったため、頻繁に艇庫が閉鎖されました。自分自身のやる気の無さとこれらが重なって、結局この冬練で僕のエルゴタイムは全く上がりませんでした。エイト「燕」を階段から落として壊してしまったのもこの頃でした。この年の新歓で思うように部員を獲得できなかったのも、もしかしたらこのマイナスな雰囲気を隠しきれていなかったからかも知れませんね。

 

 それでも、冬練が明け、2年生になって、初めて漕手として迎えた五大学レガッタはとても楽しかったです。五大学レガッタには毎年エイトで出るのが伝統であり、僕たちは4年生1人、3年生2人、2年生5人に3年生のCOXというかなり漕歴の浅いクルーでした。当時エイトで戦った筑波大学も東京海洋大学も漕歴で僕たちをかなり上回っており、全大学が、自分たちが勝てると本気で信じて戦いました。僕たちも、こんなメンツであんな漕ぎだったというのに自信を持って臨みました。

 レースでは廣瀬さんのコマンドがぶっ刺さり、彼のプラン通りに勝利を納めました。あの勝利の瞬間は忘れられません。

 

 その後はインカレまで何があったかあまり覚えていません。全日本は出漕せず、理工系は特に競ることもなかったはずです。病気も怪我もしていたのでしょう。僕が技術以外で成長することはありませんでした。それでも、インカレでは6:32を出し、惨敗ながらエルゴの割に良く進んだな、と記憶しています。

 

 

 

 高橋先輩たちが引退してから、新人戦が始まりました。2年生の全日本新人はとても楽しみにしていた大会でした。この大会では小岩がシングルを希望したため80kgメンバーで再びフォアを組んで出ることにしました。

 全日本新人の1ヶ月前にあった東日本新人では1年生と共にエイトで出漕しました。大石の病気により既に漕手を引退していた遊佐が代わりに乗って3:09というタイムでした。一橋に完膚なきまでにやられましたが、タイム的には悪くないと思っていました。

 

 しかし迎えた全日本新人、僕たちは例によってAlbusではなく借艇をして出たのですが、結局運で準決勝に進んだのちに惨敗しました。帰り道に、歩きながら自分の無力さを嘆いて涙したことを覚えています。自分がもっと強ければ。体重がどうとか艇がどうとか言って諦めていなければ。そんなことを思いながら。

 

 

 

 全日本新人を終え、燃える想いを胸に2年生の冬練を迎えました。ところが、その心の炎はすぐに消えてしまいました。毎週のエルゴ30分×2がトラウマになったからでしょうか。乗艇が上手くいかなかったからでしょうか。モチベーション低下と共に怪我も病気も増え、同期も失い、全てが上手くいきませんでした。年末オフにはインフルエンザが大流行し、体力がガタ落ち、更に後輩も1人失いました。

 

 冬練明けのお花見レガッタでは東日本新人とほとんど変わらないタイムしか出ませんでした。五大学レガッタではなんとか勝利しますが、全日本選手権は艇運びが地獄だった上に全クルーで最下位、唯一の敗復落ちクルーでした。その後僕は手首の怪我が長引き、エルゴもろくに引けず、乗艇もあまりできずに体力が全く伸びませんでした。インカレでは6:54というエイトとは思えないタイムで圧倒的最下位になりました。

 この時ばかりは普段口を出さないOBさんたちも怒っていました。「強くならないのは強くなりたいと思っていないからだ」といったことを言われたのをよく覚えています。当時は内心苛立ちましたが、今となってはその通りだと感じます。当時の僕は怪我を恐れ、ストレッチなどマイナスを減らす努力しかしておらず、プラスを産んで勝ちに行こうとしていなかったのですから。

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