東京科学大学理工学系漕艇部OBの伊澤諒です。
現役時代は一貫してマネージャー業務に従事し、主務としてその活動を終えました。
この記事は、以下の構成をとった大変長大な文章群になっています。
・「ボート部」とマネージャー
・マネージャーの「成長」とは何か
・「ボート部」の悲劇を生み出さないために
・後悔できる環境をつくるということ
・終わりに
ボート部関係者でない人からボート部員としてどんな活動をしてきたのか尋ねられたとき、僕は必ず「最初は漕手として入部したが、学業(教職科目)との折り合いがつかずマネージャーに転向した」と伝えていました。要点は「最初は漕手として入部した」ということです。
これはわずかに正しくかなり間違っています。漕手として活動したいという気持ちが入部当初にあったこと、これは間違いありません。しかし実際には、漕手活動といえば大岡山キャンパスでの陸上トレーニングに参加したのみで、戸田での乗艇練習には一度も参加していませんでした。実際に漕いだことがないのに「最初は漕手として入部した」というのは、かなり間違っています。
それではなぜ、「最初は漕手として入部した」と伝え続けていたのか。それは、「ボート部」とのつながりを保ち続けたかったからです。
安間が引退ブログ内で挙げていたように(引退ブログ 4年漕手安間光一)、少なくとも第三者視点に立った場合、マネージャーの仕事は単調で面倒な業務が大半を占めています。さらに、ほとんどすべての仕事は「ボート部」という母体に根ざしていません。
「ボート部」とマネージャー
生成AI Perplexityに「ボート部とは何か」と問うと、以下の回答を受けました。
– ボート部とは、競技ボート(ローイング)を行うための運動部・部活動で、細長いボートに乗ってオールで水をかき、決められた距離をどれだけ速く漕ぎ切れるかを競う組織のことを指す
参考資料として生成AIの出力結果を使うことの是非は別として、要するに「ボート部」は選手たちがより優れた成績めがけて努力し続ける団体です。当然ながら。
一方で、マネージャーの業務は選手たちのそれよりも目標が不明瞭です。つまり、マネージャーの活動目的は「選手たちがより優れた成績めがけて努力し続けられる環境を整えること」にありますが、目的の漠然性ゆえそれに向けて設定されるべき目標は、例えば2000TTを6分30秒より速く引く、といったような明瞭なものになり得ない、ということです。
よほどのことがない限り、マネージャーの主たる仕事は①飯炊き、②ビデオ撮影、③SNS運用に集約されます(理工学系漕艇部のマネージャー陣)。選手側の視点に立つと、直接的であれ間接的であれ、いずれの仕事も重要なものでしょう。一方、マネージャーの視点に立った場合、これらの仕事と「ボート部」とは、どのように結びついているのか。
ご承知のとおり、③SNS運用は部活動に関わらずさまざまな主体が実施している/実施できるものです。②ビデオ撮影は、いわゆる練習を行う活動をしている団体(=大半の運動部)であれば必然的に実施します。残る①飯炊きは、一見すると「ボート部」とよく結びついているように思われますが、そもそも食事作りはマネージャーの独占業務ではあり得ず(生きている人間は誰しも食事を作る)、実際問題として、練習があるにも関わらずマネージャーが誰もシフトに入っていない場合には、艇庫にいる現役選手や引退したコーチたちが飯炊きをしています。
よほどのことがない限り行われるマネージャーの主たる仕事を普通にこなす分には、”ボート部に所属”している”マネージャー”だからこそ取り組めることは1つもない、と僕は感じてしまいます。その意味で、主たる仕事を行うだけのマネージャーは、言ってしまえば「ボート部」という母体から浮き足立った根無し草のような存在に思えます。
マネージャーの「成長」とは何か
僕は今「引退ブログ」を書いていますが、執筆の参考として他大ボート部のマネージャー引退ブログを覗いてみました。そこで散見されたのは、「ボート部で成長できた」「色々な経験をすることができた」といったコメント群。ボート部に身を置いておけば自然と様々な体験・経験をしますから、後者のコメントは単なる事実として理解できます。しかし「ボート部で成長できた」とは、いったい何なのか。ここまで踏み込まれた記事は、あまりないように思います。
マネージャーにとっての「成長」とは何でしょう。
あるマネージャーにとって「成長」とは、「自分に利益をもたらさない仕事をこなす中で、他者のために身を粉にする忍耐力・体力をつけられたこと」になるかもしれません。「多くの学生と協力して一つのタスク(飯炊、ビデオ撮影、…)に全力投球できるようになったこと」も「成長」と言えると思います。
いくつかの引退ブログ記事を読む中で、このようなコメントを見つけました。
「所属しているだけで自然と成長できるわけではなく、目的を意識し、自分で考えて行動してこそ成長は生まれる。それがこの4年間で実感したことです。」
非常に重要な考え方だと感じました。
僕は常々、仕事をするときには頭の体操をすることが大切だ、と感じています(し、当時副務だった遊佐くんには耳タコになるほど言っていました)。
なぜなら、マネージャーである僕にとって「成長」とは、「目的(=マネージャーの活動目的)を意識し、自分で考えて行動(=どうすれば目的に適う仕事ができるようになるか)できるようになること」であるからです。
そして、マネージャーにとって「ボート部のために自分の仕事を顧みて、目的のためにアレンジする(=頭を使う)」ことこそ、マネージャーの独占業務なのだと思います。
繰り返しになりますが、選手たちはレースで勝つために死に物狂いで頭と体をフル活用します。そしてマネージャーはそれを支える立場です。
この文からも明らかな通り、マネージャーは選手に比べてはるかに頭を使う余地が幅広くあると僕は考えます。
すなわち、目標が不明瞭であるがゆえに、マネージャーは様々な方向性で選手たちの取り組みを支援できるということです。
例えば、③SNS運用をするにしても、そもそもSNSで情報発信する目的はどこにあるのかを考えるところから出発し、その目的から適切な発信内容を定め、SNSツールそれぞれに適した文体・説明の詳細度などを決定するところに行き着きます。
情報発信の目的はいくつもありますから、仮に「非ボート経験者(=部員の親族、大学の他部、将来の新入生たち)に向けてボート部の日常を発信することで、弊部への周知・支援を狙うこと」と定めます。対象は比較的若年層であり、深く検索せず目につく形で広報する必要があるため、HPやFacebook、ブログよりもInstagramやXを優先的に使う。相手はボートについてほとんど知識を持たない主体であるから、パッと見てボート部の活動がわかりやすい言葉、写真を組み合わせる。ただし、SNSはボート部OBOGや関係者も閲覧するから、常識・定石から逸脱しすぎるような内容は控える。
あるいは、ボート部の活動に必要だが取り組んでいない業務を発掘することでも、選手たちを支えることにつながります。
具体例を出すことは憚られますが、他の主体(OBOGの方々など)と協力することで仕事の幅はグッと広がるはずです。
逆にいえば、これまでやられてきた仕事だから自分も同じように行うというマインドは、最も避けるべきだと思います。
「先輩がこうやっていたから同じようにやる」「指示されたからそれだけこなす」のは、単に自分で頭を使う成長ができないだけでなく、部にとってプラスの貢献を生み出すことができず、さらには「自分がボート部にいることの意義」を見いだせなくなる。
少なくとも部活動の場合、仕事を受け渡す側も受け取る側も、指示する側も指示される側も、完璧な状態で仕事に取り組んでいた訳がありません。
「今年Twitter(X)の投稿担当になったんですけど、これって何をやればいいんですか?」「僕も去年あんまりやれていなかったからわからないんだけど、とりあえずSlackの
広報チャンネルにあげられた画像とメッセージをUPしておけばいいよ〜」
「わかりました!ありがとうございます!」では、何の修正も進化も達成感も得られません。
「ボート部」のために自分で考えて行動すること。それが”ボート部に所属”している”マネージャー”だからこそ得られる活動実感であり、最終的な「成長」の指標になると思います。そして、「脱根無し草」のための有力な手段になるはずです。
「ボート部」の悲劇を生み出さないために
マネージャーが「脱根無し草」を目指すとき、一つの大きな問題があります。それは、マネージャー自身の内側に「脱根無し草」を目指す動機がないことです。
これは、「ボート部」にとってもマネージャー自身にとっても悲劇です。
「ボート部」からすれば、そのマネージャーは単なる数合わせ(見かけの部員数が増える)でしかなく、マネージャー自身は、「ボート部」における自分の存在意義を見捨て、有意義であるはずの機会を損失させることになります。
この悲劇を生み出さないために「ボート部」がとれる選択肢は、あまり多くない上に実効的でないと思います。
手短なところで言えば、選手とマネージャーの交流を増やすこと。昨年から東京科学大学理工学系漕艇部では、部員の交流イベントと称して、体育館や公園などでスポーツを行ったり、一緒にご飯を食べに行ったりしています。しかしここで問題になるのは、そもそもマネージャーがこれに参加しない、ということ。
交流を増やすという文脈では、今年から行われているような「仕事を介した交流」も手段としてはあり得ます。これまでマネージャー内で実施する(はずだった)SNS運用を、漕手も含めて分業する。感情面での根を「ボート部」に下すことはできるかもしれませんが、これを続けた場合マネージャーに与える業務幅の縮小、それに起因する自発性・「頭を使う」体験の減退といった影響は、何とも言えません。
もっと実際的な取り組みとしては、これも今年から行われている「クルーマネージャー制度」がより有効です。
マネージャーにとって時間的負担がかなり増える制度ですが、同時にサポーターとしての学びが多く得られるものでもあると思います。
最もラディカルで有効な選択肢は、新入生勧誘の方法を変えることだと僕は考えます。
現在のボート部におけるマネージャー新勧の謳い文句は、「シフト制だから好きなタイミングで仕事できるよ」「先輩マネが手取り足取り教えてくれるから大変なことなんてないよ」といったものです。
練習の過激さを全面に出している選手の新勧とは、温度感・速度感があまりに違いすぎます。
それにも関わらず、「ボート部」は最終的に主務になりうる高水準のマネージャーを欲しています(主務経験者が言うのは大変憚られるが)。
これはマネージャー視点からすれば、車体(=マネ)が全然前進していないのにエンジン(=選手)がフル回転している状態でローギアに入れてクラッチを離すようなものです。
エンストするのは必然です。
これが悲劇の源泉であるから、私は新勧のあり方を刷新する必要があると考えるのです。
マネージャーが自発的に「脱根無し草」を目指す動機づけをすることも、できなくはないと思います(前後倒錯した考え方かもしれませんが)。
それは、「自分は『ボート部』の重要な一員である」と強く思い込むことです。
僕の場合は、入部当初の段階で奇跡的にそう思い込める状態にありました。
すなわち、一瞬だけあった「漕手」期間をきっかけにして、自分が「ボート部」と繋がりがある存在である、ゆえに「ボート部」にとってプラスの貢献をなすことが必要だ、と思考するように仕向けていました。
「ボート部」とのつながりを保ち続けたかった裏返しとして、「最初は漕手として入部した」と外部の人に伝え続けていました。
僕のように自分の思考を仕向けるのはなかなか難しいかもしれません。
したがって、「自分はなぜボート部にいるのか」という問いに対して、「なぜならボート部に入部したから」などという脳死の回答以外の答えが思い浮かぶまで向き合い続ける、というのも、自発的動機づけとしては有効かもしれません。
後悔できる環境をつくるということ
ボート部生活の4年間を終えて、僕は「後悔」するということの良さを感じました。
インカレA決勝進出といった最終目標(=目的)を達成するに当たっては、最後に「後悔する」などあってはなりません。
しかしながら、最終目標めがけて全力で活動すればするほど、「後悔」する機会にまみれていきます。「後悔」する機会とは、漕手で言えば冬練の在り方や、不調者に対処するために迫られる選択などです。
そして、最終的にこの目的が達成されなかったとき、「後悔」の蓄積に襲われる。
目的が達成された時でさえも、達成による気分高揚で一時的盲目状態になっているだけで、後から振り返ればいずれ必ず「後悔」の断片が自分に突き刺さります。
したがって、最終目標に突き進む途中段階であれば「後悔」は絶対に避けなければなりませんが、全てが終わった後はむしろ「後悔」することをしっかり受け止め、あるいは受け流せばいいのだと思います。
さらに言えば、「後悔」は自分がどれだけ「ボート部」に真剣に向き合ったかという過去の事実に対する指標になると僕は考えます。
「後悔」は口にできても目には見えないため、自分に嘘をつかない限り、これまでの活動を振り返るに当たって自身を正当に評価できる数少ない有力なバロメータになります。
しかし、殊マネージャーの「後悔」については、選手たちとは異なる問題が発生します。
それは、「後悔」の質と程度です。
選手は「ボート部」を大学生活の主軸に据えることを前提として活動をするため、「後悔」の源泉は「ことあるごとにやってくる選択の嵐それぞれに対し、いかに真摯に真剣に向き合えたか」にあります。
一方マネージャーは、先ほど挙げた選手とマネそれぞれの新勧方法の違いにより、「ボート部」が必ずしも大学生活上重視されるわけではありません。場合によっては、就活で有利になるから籍を置いておくだけ、などという有害な状態にもなりうる。
したがって、マネージャーが感じる「後悔」の質や程度が、選手のそれとは比較にならないほど多種多様になってしまう危険性があります。
ここで「危険性」と表現しているのは、この問題がマネージャー個人にとどまらず、それ以降の後輩たちにも波及する恐れがあるからです。
つまり、「先輩がこれしかやっていないからこんなもんでいいんだ」という不正確な理解・認識を後輩がもってしまい、結果としてマネージャーの質が低下し続けてしまうことになりかねません。
また、「後悔」の質や程度が選手-マネージャー間によって、あるいは人によって違うということは、その代が精神的に一枚岩になれていなかったことを指摘します。
ゆえに、特にマネージャーに関しては、まず「後悔できる環境をつくる」ということが大変重要になります。
その方策はその代、その時の環境によって異なるでしょうから、各々の代が頭を使って考え続けることが求められます。
終わりに
ここまで、現役部員時代に思っていたこと、引退してから感じたことをまとめました(まとまっていませんが)。
とにかく、質の高い「後悔」ができるようになろう、そのために死に物狂いで(色々な意味で)頑張ってくれ、というのが、現役の皆さんへの僕からの遺言です。
OBOGの皆様、日頃より現役部員の活動をご支援いただき、ありがとうございます。
特に理事会メンバーの皆様は、毎日のようにオンライン/オフライン問わず主務業務をお支えいただき、感謝してもしきれません。
先輩・同期・後輩マネが少ない中、最後まで主務としてやり通せたのは、ひとえにこうしたご支援をいただけたおかげだと思っています。
来年から僕も社会人の一員になりますので、OBの一人としてこれからもお世話になります。
最後に、僕の出身高校の校訓をご紹介したいと思います。
〜爾の立てるところを深く掘れ、然らばそこに清き泉湧かん〜

