東京科学大学 理工学系漕艇部員日記

東京科学大学理工学系漕艇部の漕手、コックス、マネージャー、トレーナー達による日常紹介

東京科学大学理工学系漕艇部での日々を皆様にお届けします

2025年09月

こんにちは。1年漕手の原です。インカレ後のオフに沖縄に行ったことで銀行口座が悲惨な事になっています。早くバイトをしないと合宿費を払えず艇庫を追い出されるのではないかとビクビク怯えながら生きています。

今回は9/4〜9/7にかけて開催されたオックスフォード盾レガッタを振り返っていこうと思います。今回は1年生男子のエイトでの波瀾万丈なデビュー戦を綴らせてもらいます。

まず1日目と入る前に、大会を巻き込んだ二つの事件について言及していこうと思います。

Case1:なんくるならなかった沖縄旅行

これは同期のM.Tくんが大会1週間前に3泊4日沖縄旅行に行ったことです。彼が居なかったことで乗艇練が無くなり思うような練習が出来なくなりました。唯一乗艇練が嫌いな黒木くんだけ喜んでいましたが、代わりにフォアで乗艇するとなった時の彼の絶望した表情はとてもおもしろかったです。また事件はここで終わりませんでした。帰りの飛行機が遅延してその日の新幹線が無い事で次の日の朝練に参加出来ないとなりました。「なぜ関空にしたんだ」と思いましたが、この遅延はもう一つの事件によって関係なかったものになりました。

Case2:プチパンデミック再来

これは同期のH.Kくんがコロナにかかったことで大会5日前に艇庫謹慎になる惨事が起きました。彼に関しては病気という事もあり仕方の無い事もありますが、彼は生活習慣がひどく、昼寝を長時間してしまうせいでたまに深夜12時にweightトレーニングをするという「そりゃ体調を壊すよな」と言われても仕方の無い生活をしていました。彼にはもう少し生活リズムを整えて欲しいです。

色々ありましたが、ここから大会を振り返って行こうと思います。

1日目、この日はひどく緊張しました。初めての水上2000mでの大会であったり、以前の大会で腹切りをした事で今回もしてしまうんじゃないかと色々考えてしまいました。しかし水上でのUT練習は想定の何倍もよく、船も立ち、タイムも出ている状況でした。実際0〜500mではレースプランの4秒近く早いタイムをだせ、500〜1500mではレースプラン通りの耐えが出来ました。最後の方にミスオールがあり結果は7分37.74となりましたが、皆次の日へ自信を持てました。

2日目、前日のレースの感触や敗復ということもありこの日の目標は大きく攻めに出ていました。しかし台風の接近ということがありレースは午前に前倒しとなり、雨風逆風の中レースをする事になりました。また風が強かったので艇付けに非常に苦戦しました。レース中は逆風にすごく押された感触があり、特に700m地点ぐらいでツーポーズローをしたんではないかと思うぐらいフォアードのオールの動きが止まることがありました。結果は8分10.73と満足のいくものにはなりませんでした。

10月、11月に行われる新人戦ではクルーメンバーの変更や、バウサイ整調への変更、艇の変更(予定)と色々変えてでの出場をします。

オッ盾での悔しさを出し切れるよう残り1ヶ月半全力で練習に取り組んで行こうと思います。

そして新人コーチの方々に成長した姿を見せて新人練を終えたいと思います。

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こんにちは。4年の小岩泰治です。

 

ついに最後の大会が明日となりました。もともと入る予定のなかった大学ボート部で4年間を過ごし、今こうして最後の大会を迎えていることが、なんとも不思議な気持ちです。

 

僕は高校時代からボート部に所属していました。中学時代文化部だった自分にとって、高校のボート部は最高の環境でした。運動部について何も知らなかった自分を受け入れてくれた同期。人生に大切な考えを教えてくれた顧問の先生。とても恵まれた3年間を過ごさせてもらったと思っています。

高校の最後の県大会は4位で、東海大会をあと2秒で逃しました。それでも、自分なりの全力を尽くしてきた実感があったので、後悔はありませんでした。

 

ただ、高校でやり残したと思ったこともありました。高校時代の半分以上をシングルで漕いでいたこともあって、「自分が強くなること」に意識を向けていて、「チームとして強くなること」をあまり考えられなかったことです。

 

だから、大学でボートを続けた一番の理由を聞かれれば、クルーとして成長して勝利を勝ち取る経験がしたかったから、と自分は答えるのだろうと思います。

 

果たして東工大ボート部に入部してみれば、エイトが中心の生活が待っていました。

 

しかしそれは、思い描いていたほど楽しいものではありませんでした。

 

漕ぎが全く合わなかった日々。

クルー内の温度差。

度重なる病気やケガによる練習の中断。

まったく自信のない中で出漕した一昨年のインカレ。

クルーの雰囲気もタイムも全てが散々だった昨年のインカレ。

 

絶対に小艇だったらもっと結果を残せるのにと、ずっと思っていました。こんなことを言えば怒られそうですが、人数不足でエイトを出せない他大の選手が羨ましいと思っていました。

今でも、エイトという種目が好きか嫌いかでいえば、正直好きではありません。特に僕たちのような小さいチームから9人を選んで勝負しようなんて、かなり無茶なことをやっていると思います。

 

それでも、今の9人で組んでいるこのエイトは、これまでのボート人生の何よりも楽しかったと思っています。

昨年一昨年に情けない思いをしたからこそ、今シーズンは意識を変えて頑張らないといけない、そんな気持ちはクルー全員で同じだったと思います。冬練の緊張感は昨年とまるで違い、全員が実力を伸ばしていました。

そして新たに乗ってくれた塩尻と水越、cox転向して以来貪欲に知識を追求してくれた川島には、色々と無理難題を押し付けたと思いますが、文句ひとつ言わずついてきてくれたのは本当に尊敬しています。
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クルーボートで臨む引退試合は、高校の時とは全く違う気持ちです。

この考え方は良くなかったかもしれませんが、高校の時は、ただ自分の実力を出し切るだけだと、どこか達観した気持ちでした。3年間の努力を、神様に採点してもらうような感覚でした。

でも今は違います。自分の乗る船は、同期の4年間も、後輩の努力も、サポートしてくれた方々の想いも全てを乗せています。だから、神様が何と言おうとも絶対に結果を残さないといけない。そう強く感じています。

 正直、怖くて仕方がないです。この1年間、チームの方針や練習メニューのほとんどを主将として決めてきた自分からしてみれば、クルーの運命を自分の一つ一つの選択が決めてきたという責任の重さを今更ながら感じます。

 それでも今言えることは、この1年間ずっとその時その時のベストを尽くしてきた結果が今だということです。自分がやってきたことは、他の誰かにとっては70点かもしれない。でも自分にとっては紛れもない100点だったと自信をもって言えます。力づくで結果を勝ち取る実力は、自分たちにはきっとあると信じています。

 

 クルーの8人へ。半年間一緒に漕いでくれてありがとう。僕が決めたメニューで、それでもメニュー以上に実力を伸ばしてくれたのは、8人の努力に他ならないと思っています。

 そして、サポートしてくださっている皆さん。いつも本当にありがとうございます。僕たちの最後のインカレのために、皆さんも全力で戦ってくれているのを感じています。必ず結果で恩返しできるよう、最後まで漕ぎきります。

 

 長々とラストレースへの思いを語らせていただきました。ここまで読んでいただき、ありがとうございました。残りは、最終日のレースの結果で示したいと思います。5日間、応援よろしくお願いします。

小岩2

後悔だらけ。でも、それでも前に進む

 

新歓のとき、スケジュール帳は真っ黒。とにかくいろんなサークルを回りまくって、迷いに迷っていた。

そんな僕に先輩がかけてくれた言葉は、今でも鮮明に覚えている。

「君の大学生活がどうなるかは俺にはわからない。でもこれだけは言える。ボート部に入ったことを絶対に後悔させない」

その言葉を信じて、この部に飛び込んだ。

でも正直に言う。後悔なんて、山ほどあった。

 

積み重なる「もしも」

1年でコックスをやめてマネージャーに転向したこと。

2年で外から口だけで文句を言っていたこと。

3年で主務として改革を試みたけれど、結局うまくいかなかったこと。

「もし1年からコックスを続けていたら

「もっと早く本気になれていたら

何度そう思ったかわからない。

ボート部にいながら、当事者じゃなかった。

みんなが必死で苦しんでいた時期を僕は知らない。外から「あーだこーだ」言っていただけ。

その浅さが、今になって本当に悔しい。

 

でも、その後悔が教えてくれたことがある。

  • 責任を背負わなきゃ、成長なんてできない
  • 一つの目標に我を忘れて突っ込むとき、人はとんでもなく変われる

外から見ていた頃は、軽々しく「A決勝でしょ」なんて言っていた。

でもそんな簡単じゃない。必死に中で戦って初めて、その重さを思い知った。

何度も壁にぶつかって、心が折れそうになった。

でもその日々こそ、僕にとっては宝物だ。

 

コックスに転向して

正直、無力感に押しつぶされそうになったことは何度もある。

  • ブイに当たってばかりで展開もスムーズにできず、逆にクルーに指示される始末。
  • エルゴで「声かけはいらない」と言われた瞬間、存在意義を見失った。
  • 「エイトで最も経験の浅い自分に、役割はあるのか」そう問い続けた毎日。

それでも。

艇が立ったときのあの爽快感。ベストが続出して「これはいける」と思えたあの高揚感。全日本で競り合った末に味わった悔しさ。東日本で敗北を背負った責任感。

そして何より――

一緒に戦ってくれた仲間の存在。

僕たちは決して仲良しグループではない。艇庫生活してれば嫌なところばかりが目につきイライラすることだって山ほどある。

でも、このチームは良いチームだと思う。

自分が弱気になったとき、

エルゴを倒れるまで漕ぐ仲間の姿に。

次こそはと挑んで負けても諦めず技術を磨く姿に。

それぞれが部のために役割を全うする姿に。

何度も背中を押され、前を向くことができた。

この4年間、仲間と一緒に艇を進められたことが、僕にとって最大の誇りだ。

 

インカレに向けて

最後の舞台が迫っている。

もう後悔したくない。絶対に勝ちたい。

やることはシンプルだ。

技術も、気力も、体力も――持てるものすべてを、この戸田のコースに置いてくるだけ。

この仲間とだから勝ちたい。

この仲間とだから最後までやり抜ける。

この仲間とだから、僕はどんな状況でも声を張れる。

あのとき先輩が言った「後悔させない」という言葉。

それは間違いじゃなかった。

後悔だらけなのに、なぜか胸を張ってそう言える。

だって今、僕は最高の仲間たちと、最高に熱い舞台に挑もうとしているから。

もう迷いはない。全部ぶつける。

インカレで、俺たちで勝つ。

 

 4年漕手の安間光一です。最後のインカレまであと僅かとなりましたので、本大会への意気込みを綴らせていただきます。

 

 

 今大会の目標は最終日にレースをすることです。本当はもっと上を目指したかったけれど、これが今の僕たちが掲げられる目標の限界です。しかし、今の僕たちなら、必ず成し遂げられる目標だと思います。

 

 

 エイトのクルーはお花見レガッタに向けて組んで以来シートすら変わっていません。約半年間、ずっと。

 

 

 思い返すと、様々な記憶が甦ってきます。

 

 昨年、インカレにエイトで出漕し、無惨な結果に終わってから、今年の五大学レガッタまでに6:25を切れなければ僕たちはインカレに出ません、とOBさんに伝えたこと。

 このクルーを組んだ時、組んで間もないのに昨年のインカレクルーと遜色がなかった時の驚き。

 お花見レガッタでは、練習していたスタートを決め、今までと比べ物にならないレート、タイムがでた時の高揚感。

 五大学レガッタに向けた練習の時期、2000TTで6:23を出した時、自然に出たハイタッチ。小岩が喜びから水面を叩きまくり、塩尻にかけた大量の水。

 五大学レガッタ当日、その塩尻と小岩が体調不良、さらに僕たちが苦手とするラフコンの逆風という最悪のコンディションで望み、なんとか勝てた時の安心感。

 お花見レガッタでうまく行ったことで出場を決めた全日本選手権で、これまで全く歯が立たなかった大学と競ることができた喜びと、差し切れなかった悔しさ。

 

 

 これまでインカレで悔しさなど全く感じられなかった僕の心が、こんなにも動いたのです。これまでの経験が、練習が、今の自信をつくってくれている気がします。

 昨年、一昨年は、怪我、病気への恐怖と、それらによって練習を止めてしまうことへの罪悪感のみに心を支配され、勝ちたいなんて言える状況ではありませんでした。感動も、悔しさも、何も残りませんでした。

 しかし今年は、勝利への意志と自信を抱いてレースに臨めます。これまでは裏切ってしまうと分かって見て見ぬふりをするしかなかったOBさんたちからの期待も、今は僕を奮い立たせてくれます。

 

 

 

 支援してくれる人達の為に、この部活の為に、これまでの自分の為に、必ず最終日に行きます。どうか応援をよろしくお願いいたします。

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